カルカッタ報告(29)8月26日Sr.マーガレット・メリー①


 マザー・ハウスの斜め向かいにできた中華料理屋で昼食をとり、1時ころホテルに戻った。ホテルでゆっくり昼寝をし、2時半ころ起きてシシュ・ババンに向かうことにした。ホテルからシシュ・ババンまでは10分ほどの道のりだ。
 シシュ・ババンの入口でシスターに声をかけると、「Sr.アンドレアから聞いています。少し待っていてください」と言って車の運転手を呼びに行ってくれた。昨日の約束通り、Sr.アンドレアはわたしのために車を準備してくれていたのだ。間もなく運転手がやってきて、いよいよ出発することになった。目的地は、言うまでもなくSr.マーガレット・メリーの墓があるシアルダーの聖ヨハネ教会だ。
 わたしが15年前にボランティアとして働いていたころ、Sr.マーガレット・メリーはマザー・ハウスの院長をしていた。直接話したことはあまりなかったが、時折Sr.クリスティーを通して励ましの言葉をかけてくれることがあった。彼女との親交が深まったのは、わたしが帰国してからだ。結核をわずらったまま日本に帰ったわたしをマザーが心配しているということで、彼女がマザーの代わりに手紙をくれたのがきっかけだった。
 1997年にマザーが帰天したときには、最後の様子を詳しく書いた手紙とマザーの遺品を送ってくれた。1998年にわたしがイエズス会に入会してからは、年に3回くらいのペースで励ましの手紙をくれた。手紙にはいつも、「あなたの召命のために毎日マザーの墓前で祈っている」と書いてあった。神学生時代、彼女からの手紙にどれだけ励まされたかわからない。彼女からの手紙は、いつもわたしを召命の原点であるマザー、そしてカルカッタと結び付けてくれた。
 シシュ・ババンを出発して10分ほどでシアルダーに着いた。駅を通過し、人でごったがえした市場を通り抜けて聖ヨハネ教会に隣接した「神の愛の宣教者会」修道院に到着した。車が入ってきた音を聞いて、シスターが2人出てきた。何事かと思ったのだろう。わたしが事情を説明すると、快くSr.マーガレット・メリーの墓まで案内してくれた。
 この修道院は「神の愛の宣教者会」の観想部門の修道院だ。「神の愛の宣教者会」というと貧しい人々に奉仕する活動的な会という印象があるが、観想部門も小さいながら存在している。活動部門に入ったあと自分の召命が祈りの中でただ神と向かい合い、人々のために祈る観想生活だと気づいたシスターたちがこの部門に移ることもあるし、貧しい人々に奉仕する過酷な生活の中で身体を壊したり精神的に疲れたシスターが、一時的に観想部門に移ることもある。
 15年前は、この修道院にSr.ラファエルという日本人のシスターがいたので、ときどき訪ねてくることがあった。彼女は、日本人として最初に「神の愛の宣教者会」に入った人だ。今回も会いたいと思ったが、残念ながら今はカルカッタから電車で2時間ほどのところにある修道院にいるとのことだった。
 Sr.マーガレット・メリーの墓は、イエズス会の墓や一般の信徒たちの墓を通り過ぎた奥の方にあった。墓地の奥の壁際に十字架を見あげる聖母マリアの像が置かれているが、その辺りが「神の愛の宣教者会」の墓地なのだ。いくつも並んだ墓の一つに、Sr.マーガレット・メリーの名が刻まれていた。
 インドのカトリック教会ではまだ土葬が原則だ。しかし、墓地の敷地には限りがあるので1つの区画に時期をあけて何人もの人を重ねて葬っていくようになっている。Sr.マーガレット・メリーの遺体は、同じくマザーの最初の12人のシスターの1人であるSr.ベルナルドの遺体の上に葬られていた。Sr.マーガレット・メリーの墓の隣には、マザーに与えられた最初のシスターでありマザーの「第2の自分」とさえ呼ばれていたSr.アグネスが葬られていた。
※写真の解説…「神の愛の宣教者会」の墓地。