カルカッタ報告(55)8月27日ハウラー橋


 ハウラー橋までたどり着いた頃には、もう5時を過ぎて辺りはだいぶ暗くなり始めていた。ちょうど通勤の時間に重なって、橋はすさまじい数の人で溢れていた。ハウラー側に向かう人、カルカッタ側に向かう人、両方の流れが1つの道でぶつかり合っている。皆それぞれ手に大きなカバンや荷物を持ち、中には頭の上に大きな荷物を載せている人もいる。
 東京にも人混みはあるが、ここのはちょっと質が違う混み方だ。まず、人と人とがぶつかり合うことが前提になっている。人とぶつからずにこの人混みを抜けて向こう岸まで着くことはほとんど不可能だ。それに、1人1人が無表情な東京の人混みと違って、ここを行き交う人たちの顔は表情に溢れている。大声をあげて道を空けさせようとする人もいれば、通らせてくれと哀願しながら進んでいく老婆もいる。みなそれぞれに自分の人生を必死で生きているのだということが、1人1人の表情やしぐさからはっきりと伝わってくる。さまざまな人生を背負った人々の熱気に満ちたこの橋は、まさにカルカッタの縮図だ。
 迷子が出ないようにしっかり前後を確認しながら、わたしたちはゆっくりと橋を進んでいった。橋を渡り終わる頃には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。橋を渡り終えたところでタクシーを拾い、わたしたちはパーク・ストリートに向かうことにした。
 夕方の渋滞の中をゆっくり進んでいくタクシーの中で、「それにしてもすさまじい人混みだったね」とメンバーの1人の学生に話しかけた。マザー・ハウスの前の道の朝晩の混雑を見ているときにも、ニュー・マーケットで買い物をしているときにも感じたことだが、カルカッタにはつくづく人が多い。総人口は約1,300万人と言われているが、実際の数は市当局も把握できていないというのが現状のようだ。
 これだけ人がいたら、仮に1人が道端で倒れていたとしても誰も気づかないかもしれない。みんな自分が生きるのに必死だし、これだけ人がいる中で1人の命はそれほど重く見られないかもしれない。しかし、マザーはその1人の存在に気づき、その人を助けた。どれほどたくさんの人がいたとしても、1人1人を大切な「神の子」として扱い、惜しみなく愛を注ぐ。そう言うのは簡単だが、このすさまじい人の渦を前にしてはありえないほど難しいことのように思われる。だが、マザーはこの人の渦の中で、命がけでそれを実践した。それは、本当にすごいことだと思う。
 そんなことを話しているうちに、わたしたちの乗ったタクシーはようやくパーク・ストリートまで辿り着いた。今晩は、ここのレストランで夕食を取ることになっている。




※写真の解説…1枚目、ハウラー駅からハウラー橋へ。2枚目、ハウラー橋の人混み。3枚目、ハウラー橋から見た夕暮れ時のフーグリー川。