カルカッタ報告(65)8月28日Fr.デュアルテ


 Dr.ハリー・ダスと話していると、ボランティアの1人がベルを鳴らした。休憩の時間の合図だ。わたしたちは話を切り上げて2階に上がった。
 2階に上がると、なんとわたしたちのために昼食が用意されていた。今は、毎日シスターたちがボランティアのための昼食を準備してくれるのだという。午前と午後、続けて働くボランティアの数が増え、彼らのために食事が準備されることになったらしい。メニューは川魚のフライとカレーだった。基本的に、患者さんたちの昼ごはんと同じものだ。休憩時間は昔からあったが、当時はプロテイン・ビスケットという大きくて四角い、あまり味のないビスケットとチャイが出るだけだった。どうも、ボランティアの待遇が昔よりずいぶんよくなっている。
 昼食を食べながら、今度はデュアルテ神父と話をした。昨日の続きで、なぜ今回ここに来たのかという話をわたしがもう少し詳しく話すと、デュアルテ神父も彼がここに来た理由を話してくれた。
 そもそも彼が司祭になろうと思ったのは、昔、信徒として1ヶ月間メキシコでボランティア活動をしたときの体験からだという。そこで指導してくれた神父さんが、彼に司祭への道を勧めたそうだ。ちょうど人生に迷っていた彼は、その勧めに従って帰国後、マドリッド教区の神学生になった。今回は、信徒たちにもボランティア活動を通して人生を変えるほどの出会いを体験してもらいたいと思って海外研修を企画したという。
 場所がカルカッタとメキシコ、呼びかけたのがマザー・テレサと指導司祭という違いはあるが、基本的にわたしの召命のプロセスと同じような道筋で彼も司祭になり、同じような理由でカルカッタでの研修ツアーを企画したのだ。これは、もしかすると神様が司祭の道へ誰かを召出すときの、1つの手口なのかもしれない。
 当時、メキシコで彼を指導してくれたのは修道会から宣教師としてメキシコに派遣された神父さんだったそうだ。彼も、2年間教区司祭として働いて、自分の召命がもしかすると修道会だったのではないかと考えているところだという。修道会に属し、発展途上国に派遣されることが自分の召命なのではないかと考えているらしい。あまり大きな声では言えないが、わたしも実は同じような思いになることがある。もしかすると発展途上国に派遣されることが自分の召命ではないかと、時折考えることがあるのだ。
 そういうわけで、わたしたちはすっかり共感し合い、互いに祈り合うことを約束した。本当にいい友達ができたと思う。
※写真の解説…カルカッタ名物の路面電車