バイブル・エッセイ(105)壁を越えて


 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」(ルカ19:41-44)
 イエスがオリーブ山からエルサレムを見て泣いておられます。人々が高い壁に守られながら自分たちの幸せだけを考えて生活しているのを見て、胸を痛めておられるのです。神の思いは全ての人が「神の子」として幸せに生きられる社会を作ることなのに、壁の中にいる人たちには外で苦しんでいる重い病気の人たちや貧しい人たちのことが見えていません。
 これは、わたしたちにとって他人事ではないでしょう。もしわたしたちが財産や社会的地位、学歴などによって自分のまわりに高い壁を巡らし、その中で自分の幸せや家族の幸せだけを考えて行動しているなら、そんなわたしたちの姿を見てイエスはきっと泣いておられるはずです。
 壁の外には、職を失って路上生活を余儀なくされている人たちや家族から見捨てられて1人暮らしをしている老人たち、病院で孤独に病と闘っている人たちなど、幸せを分かち合ってほしいと願っている人たちがたくさんいます。片時も離れず彼らのそばにおられるイエスは、遠い壁の中のわたしたちを見て、きっと泣いておられるでしょう。
 どれほど高く壁をめぐらしたとしても、その壁がやがて壊される時が来ます。病に倒れ、死が迫ってきたとき、わたしたちの周りに張り巡らされた財産、社会的地位、学歴などの壁はすべて崩れ去ります。そのときわたしたちは否応なく、自分自身も神の憐れみがなければ救われない弱者にすぎないことに気付かされるのです。
 エスをこれ以上泣かせるわけにはいきません。わたしたちと外の世界を隔てる壁を壊し、神の御旨に従ってすべての人が兄弟姉妹として幸せに生きられる社会を作っていきたいものだと思います。
※写真の解説…大阪城の石垣。