JESUS KIDS記事「クリスマスの思い出」


 この記事は、カトリック六甲教会の教会学校が毎月発行している冊子「JESUS KIDS」の12月号に掲載されたものです。
「クリスマスの思い出」
 ぼくは大人になってからキリスト教に入ったので、子どものころ教会でクリスマスをお祝いした思い出がありません。クリスマスといって思い出すのは、子どものころうちにあったモミの木のことです。
 そのモミの木は、高さが1メートルくらいで、大きな鉢に植えられていました。ふだんは日当たりのいい縁側の隅に置かれていて目立ちませんでしたが、年に1度だけ出番がやってきました。クリスマスが近づいてくると、お母さんや妹と一緒に飾りつけをしたものです。そのころ、毎年クリスマスになるとテレビで「ドリフの大爆笑」という番組をやっていました。夜になるとモミの木が置かれてすっかりクリスマスらしくなった茶の間で、ケーキを食べながらその番組を見て大笑いしたのを覚えています。
 ちっともイエスさまと関係がありませんが、まあしかたがありません。みなさんも知っているかもしれませんが、日本にはキリスト教を信じている人が100万人くらいしかいないのです。日本の人口は1億2000万人ですから、120人に1人だけです。ほとんどの人にとって、クリスマスはイエスさまの誕生日ではなく、サンタクロースからプレゼントをもらう日なのです。
 でも、今から思うとあの日、ぼくの家にもイエスさまは来ていたのかもしれません。家族みんなで一緒に飾りつけをしたり、こたつに入ってテレビを見たりすることは、うちでは年に何回かしかありませんでしたし、ましてケーキを一緒に食べながら大笑いすることなんてありませんでした。たぶん、家族のたのしい会話の中に、ときどきこたつの中でふれあう家族の足のぬくもりの中に、わたしたちの笑顔の中に、イエスさまは来ていたんだろうと思います。ぼくたちは、なんてたのしいんだろうと思うだけで、そのことにきづかなかったのです。
 心の底からたのしいなと思うとき、そのたのしさは実はイエスさまからのプレゼントです。イエスさまが、わたしたちに天国のたのしさを少しだけ先に届けてくれるのです。だから、たのしさはいつも思いがけないときにやってくるし、手元にとっておこうと思ってもどこかに消えていってしまうのです。いつか天国にいったとき、ぼくたちはいつまでもそのたのしさをあじわうことができるでしょう。
 家族で飾り付けをしたモミの木はいつの間にか枯れてしまいましたが、ぼくの心の中にはあのたのしい思い出と一緒にしっかり残っています。街角できれいに飾り付けられたモミの木を見ると、ぼくはいつもあの楽しさを思い出しながらイエスさまに「ありがとう」ということにしています。
※写真の解説…ハーバー・ランド、モザイクのクリスマス飾り。