バイブル・エッセイ(111)苦しむ人々の中に


  エスは、ヘロデ王の時代にユダヤベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
  これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。(マタイ2:1-12)

 救い主を探して長い旅を続けてきた博士たちは、ベトレヘムで驚くべき光景を目にしました。彼らを導いてきた星が、壮麗な宮殿や立派な建物ではなく、なんと小さな馬小屋の上に止まったのです。博士たちが中に入っていくと、みすぼらしい飼い葉桶の中で赤ん坊が眠っていました。赤ん坊の周りには、貧しい羊飼いたちが座っています。その光景を目にしたとき博士たちは、神はこの世の最も貧しい人たち、苦しんでいる人たちと共にいるために来られたのだということを深く悟ったことでしょう。
 イエスは、苦しんでいる人たちと共にいるためにこの世に来られました。もしイエスと出会いたいならば、わたしたちは苦しんでいる人たちの傍に行かなければなりません。そのことを感じる体験が、実は今日ありました。
 今、東遊園地で越冬の炊き出しが行われているのですが、今朝起きたときそれに出かけようかどうかという迷いがわたしの心に生まれました。昨日は行ったけれども、今日は年賀状を書かないといけないし、少しくらいは正月のテレビ番組でも見て寛ぎたいから行くのをよそうかと思ったのです。ですが、しばらく考えているうちに心の底からぜひ行きたいという気持ちがわきあがってきたので、その気持ちに従って出かけることにしました。
 公園では、マシア神父やシリロ神父の指導のもと、大きな鍋でパエリアが作られていました。わたしも調理や火の管理を手伝わせてもらい、最後に労働者の皆さんと一緒にそのパエリアを食べました。暖かな日差しの中で、労働者の皆さんのうれしそうな顔を見ながらおいしいパエリアを食べていたとき、わたしは確かにここにイエスがいると感じました。自分の部屋に閉じこもっていたら、決してこの幸せを味わうことはなかったでしょう。
 エスは、いつも苦しんでいる人たちの傍らにおられます。炊き出しに行かなくても、心を開いて探しに行けば、苦しんでいる人たちはわたしたちの身の回りにもきっといるでしょう。彼らの隣にイエスがいます。心に輝く星に導かれながら、3人の博士とともにイエスを探して旅に出たいものです。
※写真の解説…朝日を浴びた山茶花