バイブル・エッセイ(113)一つの霊に結ばれて


  賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
  ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。(一コリント12:4-11)

  賜物にはいろいろあっても、それを与えるのは同じ霊だとパウロは言っています。人それぞれに与えられた能力は違うけれども、それらの力の源になっているのはただ一つの霊、すなわちイエス・キリストの霊だけだというのです。
 ミサにおいても、わたしたちを動かしているのはこの一つの霊です。ミサの中で、霊の力によってある人は歌を上手に歌い、ある人はオルガンを演奏し、ある人は懸命に祈り、ある人は説教をします。ですが、わたしたち1人ひとりを動かしているのはただ一つの霊なのです。霊の促しのままに、それぞれがミサにおいて与えられた奉仕の役割を果たしていくとき、ただ一つの霊がミサを作り上げていくのです。
 ですから、わたしたちがミサに与る前にすべきことは、どんなにうまく歌おうとか、あんな技術を使って演奏してやろうとか、いい話をしてやろうとか考えることではなく、ただこの霊に心を開くことだと思います。霊に心を開くとき、わたしたちがそれぞれの役割を果たすのに十分な恵みが与えられます。その力に動かされて奉仕したときにのみ、わたしたちは一つの霊において一つに結ばれたミサを作り上げていくことができるのです。一つの霊に心を開き、一つの霊の力に突き動かされて、一緒にすばらしいミサを作り上げていきましょう。
※写真の解説…杉の巨木。摩耶山、青谷道にて。