やぎぃの日記(78)2つの叙階式


 3月22日、わたしの友人である與賀田光嗣さんが日本聖公会の司祭に按手され、神学生時代からの知り合いである春名昌哉さんがカトリックの司祭に叙階された。聖公会が午前中、カトリックが午後からの式ということで、幸いにも両方に出席することができた。
 2人とも、あの日は普段見慣れている彼らではなかった。顔はどこまでもすがすがしく、全身から聖なる光が輝いているように見えた。あの輝きは、一体何なのだろうと思う。おそらく、彼らが神学生としてたくさんの知識を身につけ、経験を積んだことだけが理由ではないだろう。
 むしろ、そのようなことよりも、長い神学生時代を通して自分のすべてを神にささげる準備をしてきたことの結果ではないだろうか。そのようにして自分を少しずつ神に差し出し、ついに司祭として自分のすべてを神に差し出すことを公に宣言したその瞬間、彼らを通して神の栄光が輝き出たのだろう。彼らの輝きは、一片の自我も残さないほど完全に自分を神に捧げきったことによる輝き、何も持たないことによる輝きなのだ。
 叙階式の日には、わたしもあのように輝いていたのだろうか。近頃、いろいろなものを持ちすぎて、光が鈍っていないだろうか。深く感動すると同時に、改めて自分の召出を振り返らざるをえない1日だった。

※写真の解説…1枚目、日本聖公会聖ミカエル教会。2枚目、カトリック玉造教会。