《お詫びと訂正》先日掲載した「祈りの入門講座」のご案内で、開始時間が19:00-21:30となっていましたが、15:00-16:30の間違いでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3:1-8)
霊によって生きる者は、思いのままに吹く風のようだとイエスは言います。聖霊に満たされて風のように生きる人、それは一体どんな人でしょう。
風は自由に吹き抜けます。決して一つの場所に執着したり、人間の思いを気にしたりすることがありません。ただ、吹くがままに吹くのです。そのように、霊に生きる人もただ神の御旨に自分のすべてを委ね、一つの場所に執着したり、人間の思いを気にしたりすることがありません。
高原の風は、自分を見せずに人々の間を吹き抜け、そのあとに爽やかさだけを残していきます。そのように、霊に生きる人も決して自分を主張することなく人々と交わり、去った後に爽やかさだけを残します。いつまでも誰かにしがみついたり、後に自分の記念碑を残したりすることはありません。
海に吹く風は、大海を行く舟の帆をいっぱいに膨らませ、舟に力を与えます。そのように、霊に生きる人も広い世界の中で孤独な小舟のように漂う人々の心を愛の風で膨らませ、人々に生きる力を与えます。
わたしたちは風がどこから来てどこへ行くのか知りませんが、霊によって生きる人がどこから来てどこへ行くのか知っています。霊によって生きる人は、神の愛からやって来て、神の愛へと帰っていくのです。霊によって生きる人は、ただ神の愛から力を得、与えられた力を愛の奉仕によって神へと返していくのです。
わたしたちも、聖霊の息吹に満たされて風のように生きたいものです。
※写真の解説…六甲山の新緑。