マザー・テレサの言葉を読む(11)大海の一滴


「わたしたちのしていることは、
 大海の一滴に過ぎません。
 ですが、もしこれをするのをやめれば、
 大海は一滴分小さくなるでしょう。」

 「何千万人もの人々が貧困と飢餓の中に苦しんでいるインドで、わずかな人たちだけを救っても意味がないのではないか」とマザーの活動に疑問を投げかける人がいます。そのような人たちに対して、マザーはいつもこの言葉で答えていました。
 マザーが言う大海とは、一滴一滴の小さな親切や思いやりが集まってできた愛の大海のことでしょう。どれほど小さな愛の一滴であっても、それがなければ大海はその分小さくなってしまいます。わたしたち一人ひとりが一滴の愛を注ぐからこそ、愛の海は大海になりえるのです。
 マザーの活動に対して、「貧しい連中を甘やかしているだけだ。彼らが自分で生活できるようにしてやるのが本当の援助なのではないか」と批判する人たちもいました。マザーは貧しい人々にすぐに食べられる魚を与えているが、むしろ彼らに釣竿を与え、魚の取り方を教えるべきではないかというのです。
 そんな批判に対してマザーは「わたしたちの使命は、倒れている人に食べ物を与え、自分の足で起き上がれるようにすることです。起き上がったところで、あなたたちが彼らに釣竿を与えてください」と言っていました。
 そもそも、マザーが貧しい人たちを助け始めたのは社会を変革するためではありませんでした。むしろ、目の前で死にかけている貧しい人を放っておくことができなかったからその1人を助けた、お腹を空かせて倒れている人を放っておけなかったらから食べ物を与えたということです。目の前にいる人の苦しみに気づき、その苦しみに共感するなら、何かをせずにはいられなくなるのです。それが大海の一滴にすぎなかったとしても、貧しい人たちを甘やかすことにすぎなかったとしても、そうせずにはいられなかったのです。それが愛というものでしょう。
 マザーの活動は、全体を見ることからではなく、いつも目の前にいる人の苦しみへの共感から始まっています。人々の苦しみを放っておくことができなかったから、やむにやまれず大海に一滴の水を注ぎ続けた、マザーの活動はそういうことだったような気がします。