沈黙の実りは祈り、
祈りの実りは信仰、
信仰の実りは愛、
愛の実りは奉仕、
奉仕の実りは平和
この言葉をマザーは自分の名刺に書きこんで、出会う人たちすべてに配っていました。この言葉が自分たちの活動のすべてを説明してくれるから、一番いい自己紹介になるというのです。
マザーの活動は、まず沈黙から始まります。沈黙とは単に口を閉じるということではなく、心の中のおしゃべりもやめることです。いろいろなことを心配したり考えたりするのをやめ、ただ神に向かって心を開いていく、それがマザーの言う沈黙なのです。
祈りが神との対話であるとするなら、沈黙は祈りの前提条件になります。人間同士でも、どちらかが一方的に話し続けていれば対話になりませんが、それは神との対話でも同じことです。沈黙の中で神の言葉に耳を傾ける時間を持たない限り、神との対話は成り立たないのです。ですから沈黙こそ、祈りの前提条件であり、祈りの始まりだと言えるでしょう。沈黙は、神との出会いの中で祈りに変えられていきます。
毎日出会って話している友だちとの間に信頼関係が育まれていくように、祈りの中で神と出会っているうちに神との間に信頼関係が生まれてきます。神はどんなときでもわたしを見捨てない、どんな弱さも受け入れてくださる、そのような確かな信頼が生まれてくるのです。この信頼こそが信仰です。
信頼が深まってくると、その人の存在が大切になってきます。その人と出会うことが日々の生活の糧となり、その人なしには生きられないほどになっていくのです。それが人間の愛です。同じように、神への信頼、すなわち信仰が深まってくると神はわたしたちにとって不可欠の存在になっていきます。信仰が深まる中で、神への愛が生まれるのです。
愛する大切な友だちのために、彼らと一緒に過ごすため、彼らの苦しみを取り去るために、わたしたちは惜しみなく時間と労力を使うでしょう。それが友だちへの奉仕です。同じように、わたしたちになくてはならない存在である神のために、わたしたちは惜しみなく時間と労力を使うようになります。まず祈りの時間を十分にとることが神への奉仕でしょう。さらに、隣人の中に神を見つけ日々の生活の中で自分を隣人に捧げていくこと、それも神への奉仕です。
愛と奉仕の実践は、平和を生みます。平和とは、単に争いがないということではなく、すべての人が「神の子」として幸せに生きられるということです。マザーが言う平和は、単に表面的な平和ではなく、沈黙、祈り、信仰、愛、奉仕の土台に立った、揺らぐことのない真の平和なのです。
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