バイブル・エッセイ(139)世に打ち勝つ


 エスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:31-33)
 イエスのこの言葉を読んだとき、わたしはすぐにロヨラ・ハウスでのある体験を思い出しました。ロヨラ・ハウスというのは引退したイエズス会員が、人生の最後の時を過ごすための家です。わたしは神学生時代、そこで1年あまりお手伝いをしたことがあります。
 ロヨラ・ハウスに住んでいる会員たちは、ほとんど皆、かつては大学教授、教員、主任司祭などとして大活躍した方ばかりです。しかし、ロヨラ・ハウスに住んで数年もすると世間は彼らのことを忘れてしまうようで、訪れる人はほとんどいなくなります。そのことに気付いたときわたしは一人の会員に「ここに来て、さびしくはありませんか?」と尋ねました。するとその80歳を越えた会員はにっこり笑ってこう答えたのです。「イエス様が一緒にいてくださるから少しもさびしくありません。イエズス会の修道者として、イエス様だけと一緒に過ごせる今が一番幸せな時です。」
 この会員の姿はわたしの中で「わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ」と言われたイエスの姿とぴったり重なります。共にいてくださる神にすべてを委ねた彼は、この世の思い煩いから解放され「既に世に勝って」いたのです。もはや、地上のいかなる力も彼から幸せを取り去ることはできないでしょう。
 こうした「世に勝った」生き方こそ、神がおられるということの、神が愛であるということの何よりの証しだと思います。もはや体が動かなくなったこの時にこそ、この会員はこれまでになくはっきりとした神の愛の証しとなったのです。わたしたちも、この会員のように生きざまによってイエスの愛を証しできるようになっていきたいものです。
※写真の解説…満開のカラシ菜畑。JR亀岡駅前にて。