マザー・テレサの言葉を読む(19)愛の渇き


エスはあなたたちに渇いているのです。自分は愛に値しないと思っているときですら、イエスはあなたたちを愛しているのです。
 マザーの霊的遺言書と呼ばれている「ベナレスからの手紙」の中で、マザーは次のように言っています。「もしこの手紙のなかで何かを覚えておくとすれば、このことを覚えておきなさい。『わたしは渇く』という言葉は、『わたしはあなたを愛している』という言葉よりも、何かもっと深いものだということです。」マザーは「渇く」というイエスの言葉の中に、愛を越えるほどの何かを感じ取っていたようです。それは一体何なのでしょう。
 そもそも「渇く」という言葉は、聖書の次の箇所に基づいています。「イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。」(ヨハネ19:28)十字架上で死の間際にイエスが発したことば、それが「渇く」なのです。
 マザーはこの渇きを「愛への渇き」とも表現しています。愛とは、そもそも誰かと誰かの間に結ばれる関係のことです。誰かが誰かを一方的に愛しただけでは不十分で、相手がその愛に応えるときに愛は完成します。ですから、愛する人は相手に応えてほしいと望むのです。その望みが「愛への渇き」だと言えます。
 愛が深ければ深いほど、「愛への渇き」は深まっていきます。十字架上で自分を裏切った弟子たちや、自分を殺そうとしているユダヤの人々のために自分の命さえ差し出したとき、人間に対するイエスの愛は頂点に達しました。そのとき「愛への渇き」も頂点に達し、イエスは「渇く」と言ったのです。「渇く」という言葉には、イエスの究極の愛がこめられているのです。
 マザーは1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の中でこの愛を直観しました。そのとき以来、マザーはイエスの「愛への渇き」に応え、イエスと人間のあいだに愛の交わりを完成するために全生涯をかけることになったのです。彼女の生涯は、「渇く」という言葉に込められたイエスの愛の深さを証ししていると言えるでしょう。
 エスは、今もわたしたちの愛に渇いています。そのことを信じ、「自分は愛されるに値しない」と勝手に自分で決めつけることなく、全身全霊でイエスの愛に応えたいものです。
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