マザー・テレサの言葉を読む(26)神が何を言われるか


大切なのは、わたしたちが何を言うかではなく、
神がわたしたちに何を言われるかです。

 マザー・テレサは毎日ミサの後にアッシジのフランシスコの「平和の祈り」を唱えていました。この地上に平和をもたらすためにわたしたちをお使いください、わたしたちを「平和の道具」にしてくださいと願う祈りです。
 もしわたしたちが地上に神の平和をもたらす道具になりたいならば、大切なのは「わたしたちが何をいうか、言いたいか」ではなく、「神がわたしたちに何を言われるか、わたしたちを通して何を人々に語りたいか」でしょう。ですから、どんな場合でも、話す前にまず神の言葉に耳を傾けることが大切だと思います。
 人と話したり、大勢の前で話したりするときにわたしたちが陥りがちな過ちは、どうしたら自分の主張が通るだろうかとか、どうしたら自分がよく思われるだろうかと考えて話すことです。そのように考えて話すことで、もしかしたら人から受け入れられ、評価されることがあるかもしれません。しかし、そのような話し方は、「平和の道具」としては失格です。
神の思いではなく自分の思いを語り、神の栄光ではなく自分の栄光を考えている限り、わたしたちは「平和の道具」になることができません。わたしたちがまず考えるべきこと、祈り求めるべきことは、神の思い、神の栄光なのです。
エスは、迫害が起こったときに何を話そうかと心配している弟子たちに次のように言いました。
「引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。」(マルコ13:11)
 この言葉は、福音宣教のあらゆる場面において当てはまるでしょう。祈りの中で神の声に耳を傾け、聖霊に身を委ねるとき、聖霊御自身がわたしたちの口を通して語ってくださるのです。自分の力で何かを話そうと思えば、考えがまとまらなかったり、緊張したりして失敗することもあるでしょう。しかし、聖霊にすっかり身を委ねている限り、失敗することはありえないのです。これは、わたし自身の司祭としての体験から確信を持って言えることです。
 何を語るにしても、この地上に神の平和をもたらすという使命を果たすため、神の「平和の道具」として使っていただくためにまず神の言葉に耳を傾け、聖霊の促しに身を委ねて語りたいものです。