この記事は、カトリック六甲教会の教会学校が毎月発行している冊子「JESUS KIDS」の2010年3月号に掲載されたものです。
「愛の反対は?」
皆さんもう答えを知っているかもしれませんが、念のために聞いてみます。愛という言葉の反対は何でしょうか?
そう、マザー・テレサによれば、答えは「無関心」です。憎しみや怒りが反対のようにも思えますが、相手が憎いとか腹が立つと思うのは、相手が自分にとって大切な存在だからです。相手が自分の思いのままに動いてほしいけれどもそうならないとき、相手に振り向いてほしいけれども振り向いてくれないとき、そんなときに憎しみや怒りがわいてくるのです。相手が自分にとってほんとうにどうでもいい人であれば、憎しみも怒りもわきません。せいぜい、「へー、勝手にすれば」と思うくらいでしょう。
「愛の反対は無関心」という言葉を逆にすれば、「愛は関心を持つこと」と言えるでしょう。愛の基本は、相手に関心を持つことなのです。相手に関心を持てば、相手の気持ちが分かってきます。例えば、クラスでいつも仲間外れにされている子。その子に関心を持つと、「この子は今、どんなに悲しいだろう」、「自分が同じようにされたらどう思うだろう」という想像力が働いてきます。そうすると、だんだん自分も悲しくなったり腹が立ったりして、その子のために何かせずにいられなくなるのです。その子のそばに歩いて行って声をかけたり、その子ににっこりほほ笑んだりせずにいられなくなるのです。そのようにして、愛の行動が生まれます。その子にかけた優しい言葉、あなたの顔に浮かんだほほ笑み、それが愛なのです。
だから、愛の基本は相手に関心を持つことだと言えます。困っている人を見たとき、学校や教会で「みんなを愛しなさい」と習ったから愛そうとか、人が見ているから愛そうとか、そういうことでは本当の愛になりません。そんなとき、皆さんが関心を持っているのは目の前の人ではなく、自分がどう思われるかということだからです。本当の愛は、相手に関心を持ち、「もし自分が相手の立場だったらどう思うだろうか」と想像するところから始まります。愛を実践する人になるために、まずまわりの人に関心を持つことから始めましょう。
※写真の解説…色鮮やかに咲いたアジサイの花。神戸市立森林植物園にて。