マニラ日記(16)ナボタス訪問Ⅲ〜子どもたち


子どもたち
 どこのスラム街を訪れても共通なのは、道端でたくさんの子どもたちの姿を見かけることだ。貧しい人たちは、たくさんの子どもを産み育てることで将来に希望を託すと聞いたことがある。ティト神父のホームステイ先の家にも3人の子どもがいた。新しいお客さんが来たのを見て近所の子どもたちも集まってきたので、わたしはあっと言うまに小さな子どもたちに取り囲まれてしまった。
 どの子の顔にも、曇りのない澄み切った瞳が輝いていた。この国では写真のことを「Kodak」(フィルム・メーカーの名前に由来)と言うが、わたしが「Kodak !」と言ってカメラを向けると大喜びでおどけたポーズや気取ったポーズをとってくれる。だんだん慣れてくると、近寄ってきて足にしがみつく子どもたちもいた。子どもたちの中には、貧困のもたらす暗いイメージは見つけられなかった。
 スラム街を見て回った後、教会に戻ってスラムの子どもたちのための1日黙想会を見学することにした。NGOから奨学金をもらって学校に行っている中高生たちのために企画されたもので、第三修練者たちが指導を任されていた。わたしはまだ体力がないので1時間くらい見学して帰ろうと思ったのだが、NGOの職員さんに「せっかく来たんだから参加しなさい」と強く言われて、否応なく子どもたちの相手をすることになった。
 7-8人ほどの小さなグループに分かれてこれまでの人生でうれしかったことや悲しかったことを話し合ったり、Navotasのスラムが抱えた問題を話し合ったりする時間も設けられていた。わたしも一つのグループを任されたので彼らの話をじっくり聞くことができた。タガログ語で話す子もいたので分からない部分もあったが、一人ひとりの子どもたちに貧困がもたらす深い悲しみの影が付きまとっていることが言葉の端々から感じられた。過剰な人口、劣悪な居住環境、近隣とのいさかいなどをどう解決するかということも話し合われた。
 一つ確実なのは、学校に行く機会を与えられ、真剣に勉強に取り組むこの子どもたちの未来には確かな希望があるということだ。この希望の灯が、大人の身勝手な理屈や社会の矛盾によって吹き消されてしまうことがないよう切に祈る。
※写真の解説…わたしの足にまとわりついてきた子どもたち。