マニラ日記(21)スモーキー・マウンテン再訪Ⅱ〜再訪


再訪
 先月、マザー・テレサの記念日に「神の愛の宣教者会」を訪れたとき、日本人のシスターがスモーキー・マウンテンの話をしてくれた。煙を上げていたゴミの山とその周辺のスラムは1995年に政府によって閉鎖され、住民は郊外などに強制移住になったという話を日本で聞いていたが、そのシスターによれば今でもかつてのスモーキー・マウンテンに隣接する場所にスラム街が存在するという。毎週、シスターたちが訪れて子どもたちのために日曜学校をしているとのことだった。「まだあの場所があるならば、ぜひ訪れてみたい。あの人たちがどうなったのか、この目で確かめたい」とその時に思った。
 そのあと体調を崩してしまったので訪れる機会がなかったが、ようやく健康を回復したのでシスターに連絡して一緒に連れて行ってもらうことにした。第三修練仲間のティト神父やプスポ神父も興味があるというので一緒に行くことになった。
 「神の愛の愛の宣教者会」修道院からジプニーに15分ほど乗り、海沿いの幹線道路の道端で降りた。降りてすぐにシスターが、「あれがかつてのスモーキー・マウンテンです」と教えてくれた。シスターが指差す方向を見ると、確かに昔見たのと同じような形の山が見えた。しかし、幸いなことに今は自然発火による煙はなく、全体が草で覆われて緑の丘のようになっていた。かつてフィリピンの貧困の象徴とされていたゴミの山が、穏やかな緑の丘に姿を変えていたことにわたしは少し安心した。
 シスターたちは幹線道路の脇道に入り、海沿いの埋め立て地を目指して進んでいった。道の両側には、すでにナボタスのような佇まいのスラム街が広がっていた。しかし、彼女たちが目指す「貧しい中でも最も貧しい人たち」が住む場所は、さらに奥にあるようだった。
※写真の解説…海に近いスラム街の中を行くシスターと第三修練者たち。