マニラ日記(27)サーパン・パライ再訪Ⅲ〜厳しい現実


厳しい現実
 一軒の家は、昔は他の家と同じようにむき出しのコンクリート・ブロックの壁にトタン屋根を乗せただけの家だったのに、驚いたことに2階建ての立派な家に建て替えられていた。ご主人のジャンク屋が成功したのだという。子どもたちも皆、お父さんの仕事を手伝って熱心に働いているそうだ。
 しかし、そのように成功した家族は例外で、ほとんどの家は昔と同じようなとても厳しい状況に置かれていた。かって青年会のメンバーとして活躍していた一人の女性は、その後マニラに働きに来ていた韓国人男性と結婚して2人の子どもを授かった。しかし、昨年その男性は急に韓国に帰国してしまい、音信不通だという。安定収入もないまま、これからどうやって子どもたちを育てていったらいいのかと彼女は途方に暮れていた。
 もう一人の年配の女性は、昨年ご主人を病気で亡くした。収入は途絶えたが、まだ高校生の子どもたちを何とか最後まで学校に行かせるためにと家の軒先で駄菓子屋を開き、女手一つで子どもたちを育てているという。しかし、どんなに頑張っても売り上げは1日に数百円程度にしかならず、前途は厳しいと嘆いていた。
 かつて教会の美人姉妹として有名だった子たちがどうなったか聞いてみると、お姉さんの方は中国人のお妾さんになり、妹の方は高校卒業後に工事現場で働いていたとき知り合った男性と駆け落ちしてそれきり戻ってこないとのことだった。よい職場に仕事を得てスラム街を脱出するということは、本当に難しいことのようだ。
 道案内をしてくれたネンにしても、30歳になった今も定職がなく、海外に出稼ぎに行きたくても健康問題があって行けないという。数年前に冷凍倉庫で働いていた時に肺炎に罹り、それ以来体の調子がもとに戻らないらしい。結婚も難しく、母親が黙想の家で働いている間はいいが、その後どうなるのか不安だとこぼしていた。
 そのような状況に直面しながらも、わたしのためにジュースやお菓子、食事を準備して温かく歓迎してくれた彼らの真心に触れ、わたしは強く胸を打たれた。司祭として彼らの家を祝福しながら、「この人たちが、あなたの恵みの中でいつまでも幸せに生活できますように」と心の底から祈らずにいられなかった。
※写真の解説…昔、教会の信徒会で活躍していた女性。ご主人を亡くし、今は家の軒先に駄菓子屋を開いて生計を立てている。