バイブル・エッセイ(157)命の継承


★バイブル・エッセイのシリーズでは、今回から11回にわたってマウンテン州、ナトニン村の教会で行った「シンバン・ガビ」ミサでの説教をエッセイにしてお届けしたいと思います。「シンバン・ガビ」(別名、アギナルド・ミサ、ミサ・デ・ガロ)はクリスマス前の9日間、フィリピン中の教会で早朝に行われる聖母マリアに捧げられたミサです。
命の継承〜イエス系図
 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリスト系図アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。
 ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 この系図を見ていていつも感動するのは、イエスに至るまでにどれだけたくさんの人生が生きられ、命が継承されてきたかということです。系図とは、命の継承の証に他ならないでしょう。
 最初の人類は、今から何十万年も前にアフリカで誕生したと言われています。最初の人間に宿ったこの命が親から子へと何千回、もしかすると何万回も受け継がれて、今わたしたちはここに生きているのです。この間に、もし1回でも継承が途絶えることがあれば、わたしたちはここにいなかったかもしれません。そう考えると、何十万年もあいだ絶えることなく輝き続けているこの命の光に感動せざるを得ません。
 忘れてはいけないのは、この命をわたしたちに下さったのは神だということです。神が最初の人類、「アダムとイブ」にご自身の命を分け与えられ、その命が何十万年にもわたってわたしたち人間の中で生き続けているのです。わたしたちは、神から与えられたこの同じ命を今日も生きているのです。
 この命を生き続ける限り神がいつもわたしたちと共にいてくださることは、今日読み上げられた系図からも明らかでしょう。神はアブラハムダビデ、バビロンで捕囚となった人々共に生きつづけ、ついにイエス・キリストが誕生したのです。イエス・キリストは、神から与えられた命を十字架上で神に返すことで神と人との結びつきを完全なものにしました。
 今日、わたしたちはこの命、イエス・キリストによって完成された命を生きています。何十万年も継承されたこの命の神秘に感謝し、この命の中に生きておられるイエスとともにこの一日を生きていきましょう。
※写真の解説…夜明け間近のナトニン教会。