マニラ日記(44)クリスマス実習3〜二つの叙階式②イゴロット族のイエス


イゴロット族のイエス
 バウコでもボントックでも、叙階式の後には盛大な祝賀会が行われた。どちらでも、祝賀会の一番の見ものは高校生たちによるイゴロット族の踊りの披露だった。特に、ボントックでは100人ほどの高校生たちがグループで踊りを披露した。途中で昔ながらの戦闘シーンが再現されていたり、米の収穫を祝う喜びの踊りが取り入れられていたり、本当によくできた出し物だった。
 踊りや歌の披露が終わって司祭館で食事をしているとき、壁にかけられた1枚の絵に目が吸い寄せられた。それは、伝統的な衣装を身に着けた一人の原住民の青年が、棚田を背景にしてたくさんの原住民たちに向かって何かを話しかけている絵だった。長老たちやお百姓さんたち、赤ん坊を抱えた母親たちなどが、みな思い思いの姿勢でその青年の話に熱心に耳を傾けている。絵のタイトルは、「イゴロット族のイエスだった。
 しばらく絵を見つめながら、わたしは「ああ、これだ」と思った。これこそ、今回叙階された2人の役目に違いない。エスは新司祭たちを通して今、原住民の姿をとられた。原住民たちと同じ村で育ち、同じ物を食べ、同じ教育を受けた一人の原住民として、イエスがこの地に降り立たれたのだ。
 イエスは今、新司祭たちを通して原住民たちのすべての喜び、すべての悲しみをご自分のものとされた。新司祭たちを通してイエスが語りかける言葉は、日常生活の中での体験に根差した福音として原住民たちの心の奥深くにまで染みわたっていくことだろう。これこそ、キリスト教受肉ではないだろうか。この新司祭たちはまさに「イゴロット族のイエス」なのだ。
 明日からナトニン村での宣教実習が本格的に始まるが、わたしもできる限りこの絵に描かれたイエスのように、人々の心に届くわかりやすい言葉で福音を伝えていきたいものだと思う。
※写真の解説…ボントックでの叙階式の後に、イゴロット族の伝統的な踊りを披露する高校生たち。