バイブル・エッセイ(164)家族の絆


家族の絆
 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 へロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ1:14-15,19-23)

 夢の中で天使のお告げを受けたヨセフは、イエスの命を守るため、すべてを置いてその夜のうちにエジプトへと旅立ちます。苦難に満ちた、聖家族のエジプトへの逃避行の始まりです。とても美しい場面ですが、この家族には一つだけ普通の家族と違うところがありました。それは父と子の間に血のつながりがなかったことです。
 血のつながりはなかったものの、ヨセフは神の御心に応えて旅を続けます。コプト教の伝統では、聖家族はヘロデの追っ手から逃れながらナイル川沿いにエジプト全土を旅したとされています。追っ手に取り囲まれたり、追いつかれる寸前のところで難を逃れたりするようなこともあったでしょう。いつ終わるともしれない危険な旅を、聖家族はただ神の導きだけを頼りに続けたのです。
 こうして旅を続ける中で、聖家族の間に血のつながり以上の深い絆が結ばれたことは間違いないでしょう。イエスは後に「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:35)と語っていますが、その意味で聖家族は本物の家族、神に結ばれた家族になったのです。
 ただ神の御心に忠実に、神の導きを信じて苦難の旅を続けた聖家族の姿は、わたしたち教会の似姿に他なりません。第二バチカン公会議は、教会を「旅する神の民」と呼びましたが、聖家族同様わたしたちの旅の行く手にも、共に乗り越えていかなければならない試練がたくさん待ち受けています。いつ終わるとも知れない、苦難の道のりです。
 神の導きだけを頼りにこの苦難の旅を続ける中で、わたしたちの間にもきっと血のつながり以上の家族の絆が結ばれていくことでしょう。幾多の試練は、わたしたちを一つの家族として結ぶための試練なのです。
 イエスも、わたしたちと共に旅を続けます。最近わたしが気に入っているのは、知的障害を負った仲間たちが賛美の時に使っていた「クヤ・イエス」(イエス兄さん)という表現です。イエスは、わたしたち兄弟姉妹の長兄としていつもわたしたちのそばにいてくださることでしょう。エスと共に、この地上の旅路、一つの家族として結ばれるための旅路を歩み続けましょう。
※写真の解説…農家の庭先にたくさんの洗濯物が吊るされていました。雨の多いナトニンでは、晴れた日はとても貴重です。