バイブル・エッセイ(181)場所を準備する


場所を準備する
 そのときイエスは言われた。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:1-6)
 天国にある「父の家」に行って、弟子たちのために場所を準備してくるとイエスがおっしゃっています。一体、どういうことでしょうか。
 「父の家」というのはきっとバチカン宮殿のような豪壮な建物で、そこに部屋がたくさんあるのだろう。長く使われていなかった部屋をイエスが腕まくりして掃除し、弟子たちのために準備するのだろうかなどと想像するのは、きっと見当はずれでしょう。イエスがはたきで埃や蜘蛛の巣を払ったり、カーテンを洗濯したりしている姿は微笑ましく、弟子への愛情を感じさせますが「場所を準備する」というのはそういうことではないと思います。
 天国の「神の家」、そこには長いあいだ三位一体の神である父と子と聖霊、そして神を讃える天使たちしか住んでいませんでした。天国の聖なる交わりの中に、人間の場所は残念ながらなかったのです。子である神が人間となって地上で生き、十字架上の死を通って人間として天国に迎え入れられたとき、始めて天国に人間の場所ができました。イエスが十字架上で死を迎えたとき、初めて人間に天国の門が開かれ、場所が与えられたのです。エスがおっしゃる「わたしのいる所」とは、そのようにして人間のために準備された場所のことなのです。ですから、弟子たちを初めとするわたしたち全人類が入る場所を準備するため、イエスはどうしても十字架上の死を通って先に天国に行かなければなりませんでした。
 このことは、イエスがわたしたちにとって天国に至る唯一の道であることの理由でもあります。もし天国のイエスのいる場所に行きたいのならば、それにはイエスが通った道をたどっていく以外にないからです。エスが通った十字架へと至る道、隣人のため神のために自分の全てを捧げ尽くす道こそが、天国へと続く唯一の道なのです。
 イエスは、ご自分の命を投げ出すことによって、わたしたちのために天国の場所を準備してくださいました。そして、さらに天国に至る道もはっきりと示してくださったのです。この道を通って、イエスがおられる場所へと参りましょう。
※写真の解説…六甲山高山植物園のレンゲツツジ