バイブル・エッセイ(183)聖霊を受ける


聖霊を受ける
 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。(ヨハネ14:16-20)
 今日は、ミサの中で堅信式が行われました。堅信とは、洗礼によって聖霊の恵みを受けたわたしたちに、もう一度改めて聖霊が与えられる儀式です。洗礼に加えて、さらに堅信が必要なのはなぜでしょう。洗礼だけでは不十分なのでしょうか。
 カトリック教会では成人洗礼の場合、通常、洗礼式に続いてすぐに堅信式が行われます。堅信式だけが独立に行われるのは、幼児洗礼の場合です。赤ん坊の時、あるいは物心つく前に洗礼を受けた人たちは、中学生くらいになったときに堅信を受けるのが一般的です。
 幼児洗礼を受けることで、子どもたちには聖霊の恵みがあふれるほどに注がれ、聖霊が健やかな成長を守ってくださいます。ですが、残念ながら子どもたちは、まだ自分自身の心の深みで聖霊を受け止める体験をしていません。まるで空気のように生まれたときからある聖霊の恵みを、改めて意識することがないのです。
 聖霊を心の深みで受け止めるためには、イエス・キリストがどんな方であるかを知り、自らキリストの教えを選ぶ必要があります。エスの愛を知り、その愛にこたえて自分を神に差し出したいと思うほどイエスを愛したとき、差し出して空になったわたしたちの心に聖霊が注がれるからです。こうして、中学生くらいになり、自らイエス・キリストを選んだ子どもたちの上に聖霊が新たに注がれるのです。このとき彼らは、聖霊に包まれるだけでなく、心の奥深くに聖霊を受け止めています。
 聖霊とイエスは別々ですが、聖霊を受ける体験は、イエスの愛と出会い、その愛にこたえて自分を差し出す体験と一つの出来事です。イエスとの出会いが深まれば深まるほど、聖霊の恵みはわたしたちの心に深く染み込んでいくでしょう。堅信式から始まるこの聖霊の体験を、日々、イエスとの出会いの中で深めていきたいものです。
※写真の解説…六甲山高山植物園のレンゲツツジ