バイブル・エッセイ(184)真理を悟る


真理を悟る
 「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ16:12-15)
 「言っておきたいことはあるが、まだあなたがたには理解できない」とイエスは弟子たちにおっしゃいました。なぜイエスはそう思われたのでしょう。弟子たちに何か足りないところがあったのでしょうか。
 神の真理は、人間の理解をはるかに越えるほど大きく深いものです。どんなに考えたところで、小さな人間の頭の中に入りきるようなものではありません。真理に触れるためにわたしたちにできる唯一のことは、真理を悟ろうとあがくのをやめ、真理に身を委ねることでしょう。心を空っぽにして真理の霊をお迎えしたとき、わたしたちは大いなる真理の一部となって考え、行動することができるのです。真理を悟るとは、真理に身を委ね、真理と一致することに他なりません。
 弟子たちはまだこのとき、人間の理解を越えた真理に身を委ねるほどの信仰を持っていませんでした。イエス御自身が真理に身を委ね、復活して神の栄光にあげられるのを見るまでは、人間の思いを捨てきれなかったのです。人間の理解をはるかに越えた復活の出来事を目の当たりにし、共に祈る中で、弟子たちは初めて真理の霊にに身を委ねることができました。そのとき、弟子たちの心に真理の霊、聖霊が注がれたのです。
 マザー・テレサは「神を自分のものにするのは簡単です。ただ自分のすべてを神に差し出しさえすればいいのです」と言いました。真理についても同じことが言えるでしょう。自分のすべてを真理の霊に差し出したとき、わたしたちは真理の霊との一致のうちに真理を手に入れるのです。
 わたし自身、日々の生活の中で、説教準備や授業準備、原稿書きをするときに懸命に自分の頭で考えて答えを見つけようとしがちです。ですが、そんなときに限って何の答えも与えられず、焦ったり苛立ったりします。自分で答えを探すのをやめ、心を空っぽにして祈っていると、不思議とどこからか答えがやってきます。真理とは、そのようなものなのでしょう。いつも真理の霊との一致のうちに生きていきたいものです。 
※写真の解説…六甲山高山植物園、ロックガーデンの高山植物