バイブル・エッセイ(189)右手と左手


右手と左手
 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ6:1-4)
 人に見られようとして善行をしてはいけない、そればかりか「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」とまでイエス様はおっしゃいます。「右の手のすることを左の手に知らせない」なんて、そんなことができるのかと長いあいだ考えていましたが、最近一ついい方法を思いつきました。
 それは、何も考えずにとっさに右手を動かすことです。左手には目も耳もありませんから、もし右手が何かしているのに気付くとすれば、それは脳を伝わってやってくる情報によるものでしょう。「これをしたらきっと褒められるだろう」とか「みんなが見ているからここは人助けしないと」などと考えているうちに、左手は右手が何をしようとしているかに気づいてしまうのです。困っている人を見かけたとき、考える間もなくさっと右手を差し出すことができれば、左手はきっと気づかないはずです。どうでしょうか?いい方法のように思うのですが。
 まあ、この方法は半ば冗談なのですが、困っている人を見かけたときに考えずに行動に移ることができればすばらしいと思います。目の前に困っている人がいるから、手を差し伸べずにいられなくなって手を差し伸べる、それこそが本来の人助けでしょう。行動に移る前に、これをすれば人からよく思われるとか、これをしなければ人から非難されるなどと考えてするのでは、本当の善行とは言えません。なぜなら、それは人のためにすると見せかけて、実際は自分のためにしている行為だからです。それでは、人から評価されるために困っている人を利用しているようなものです。
 隣人のため、神様のためと言いながら、実は自分のためだけに行動している人たちを、イエス様は偽善者と呼びます。偽善者にならないために、困っている人を見かければ、何も考えなくてもすぐに助けの手を差し伸べられるような人になっていきたいものです。
※写真の解説…布引ハーブ園のラベンダー。