やぎぃの日記(98)「こころのケアカフェ」


2011年7月18日(月)「こころのケアカフェ」
 台風マーゴンがもたらした雨の降る中、カトリック神戸中央教会で大阪教区が立ち上げた東日本大震災被災者支援プロジェクトであるENGOプロジェクト主催の講演会が行われた。被災地の方々のためにこれから何ができるかちょうど考えていたところだったので、手ががりを求めて参加することにした。
 お話ししてくださったのは宇根さんと堤さんという、姓は違うがご夫婦のお2人だった。ご主人の宇根さんは釜石教会で、奥さんの堤さんは南三陸町の避難所で、それぞれに「こころのケアカフェ」という活動をしておられる。「こころのケアカフェ」というのは、被災者の方たちが悩みや苦しみを訴えるための場として用意された喫茶スペースのことだ。お2人の他、有志の方々がそこで傾聴ボランティアにあたっておられる。
 お2人とも心のケアの専門家だけあって、とても静かで落ち着いた語り口で話してくださった。あのような話し方であれば、被災者の人たちも安心して心を打ち明けられるだろう。宇根さんは活動がどのように根付いていったかについて説明してくださり、堤さんは被災者の方たちから活動に寄せられた声を紹介してくださった。
 その中で特に印象に残ったのは、「何もしてくれなくてもいい。ただ静かに話を聞いて、泣かせてほしい」という被災者の声だった。被災者の方の多くは家や肉親を失って大きな苦しみの中にいるが、緊張感のただよう日常生活の中ではその苦しみを訴える機会もない。泣きたくても、泣く場所さえ見つからないというのが実情のようだ。「こころのケアカフェ」では、ただその人たちの声に耳を傾け、心に寄り添うことを心掛けているという。
 話を聞いて思ったのは、これはただ被災地だけにとどまる問題ではないだろうなということだった。本来、すべての教会が、そのような場であることを求められているのではないだろうか。実際、帰宅してtwitterでこの話を書いたところ、「無縁社会」と呼ばれる現代日本の社会で多くの方が「ただ静かに話を聞いて、泣かせてくれる」場を求めているという内容のリプライが多く寄せられた。
 「教会は語ることに集中しすぎた」と指摘するリプライもあったが、確かにそうかもしれない。イエスは福音の宣教を始める前に、30年にわたって貧しい人々と生活の苦しみを共にし、人々の声に黙って耳を傾け続けた。だからこそ、公生活において人々の苦しみに深く寄り添い、聞く人の心にしみわたる言葉で語ることができたのだろう。
 沈黙して相手の声に耳を傾けること、相手が安心して泣けるような場を作り出すこと、それは魂の救いを使命とする司祭、修道者、さらには信徒の一人一人がまず最初にすべきことだろう。全国各地の教会にそのような場がもっと作られ、教会が一方的に話を聞かされる場ではなく、自分の思いを訴えることのできる場になっていけばすばらしいと思う。
※写真の解説…六甲山、布引ハーブ園にて。