バイブル・エッセイ(199)巡礼者イグナチオ


巡礼者イグナチオ
 エスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。(マタイ14:14-21)
 「すべての人が食べて満腹した」というパンの増やしの奇跡は、人間の飢えが何によって満たされるのかをわたしたちに教えてくれているように思います。わたしたちの魂の飢えは、パンに託された神の愛を仲間たちと共に分かち合うとき、初めて真に満たされるのです。
 今日、記念日を祝う聖イグナチオの生涯が、わたしたちにそのことを教えてくれます。イグナチオは30歳のとき大怪我を負い、その療養中に回心を体験しました。これまで追い求めていた世俗での栄達の空しさを悟り、聖フランシスコ聖ドミニコらの模範に倣って神に生涯を捧げる決意をするのです。
 しかしこの時、イグナチオはまだどうやって自分を神に捧げたらいいか全く分かっていませんでした。自分のいるべき場所、果たすべき使命を探し求める大きな飢えを抱えたまま、イグナチオは巡礼の旅に出ます。最初に訪れたスペインの巡礼地モンセラットで、「カルドネル河畔の体験」と呼ばれる大きな霊的な恵みを与えられますが、その恵みにどう答えたらいいのかという問いはますます深まっていくばかりでした。
 次にイグナチオは地中海の荒波を越えてエルサレムに行き、そこに生涯留まろうとしました。しかし、当時聖地を管理していたフランシスコ会の修道士たちに滞在を拒まれ、再びスペインに戻ることを余儀なくされます。
 スペインでドミニコ会修道士たちから異端の疑いをかけられたことをきっかけに、イグナチオはパリに向かいます。正々堂々と自分の考えを述べるため、大学で学位をとろうと思ったからです。そこでザビエルやファーブルなどの同志を得たイグナチオは、自分のいるべき場所、果たすべき使命を求めて再度エルサレムに渡ることを企てます。しかし、それは当時の政治情勢によって失敗に終わりました。
 こうして旅を続けるイグナチオの姿に、彼の魂の飢えの大きさが現れているように見えます。ついに彼の魂が満たされたのは、48歳のとき、ローマでイエズス会を創立した頃だと思われます。それ以降、65歳で帰天するまで彼はローマから一度も出ることがありませんでした。
 結局、イグナチオは修道誓願の固い絆で結ばれたイエズス会の仲間たちと共に、「神のより大いなる栄光のため」神の愛を世界の果てまで届けるという使命を見つけ出した時、心の底から満たされたのです。魂の満足は、エルサレムにでもパリにでもなく、仲間たちと共に神の愛を分かち合うことの中にあったのです。
 わたしたち魂は、教会の仲間たちと、家族や友人たちと命のパンを分かち合うときに満たされます。分かち合われたとき、パンに託された神の愛がわたしたちの魂を奥底から満たしていくのです。この交わりの中に、自分の居場所を見つけ、果たすべき使命を見出すことができますように。 
※写真の解説…六甲山、杣谷道にて。