バイブル・エッセイ(201)イエスを目指して


エスを目指して
 エスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(マタイ14:22-33)
 ペトロが水の上を歩くと言うこの話は、わたしにとってまるで修道生活のことを話しているように聞こえます。それは、修道生活を続けることがまるで水の上を歩くように困難に思えることが、たびたびあるからです。
 修道生活に入る前、清貧・貞潔・従順の誓いを守って生きる修道生活は、わたしの目から見たとき、自然の摂理に反する不可能なことに他なりませんでした。まるで、水の上を歩くようなものです。しかし、マザー・テレサから司祭の道にいざなわれ、祈りの中で「来なさい」というイエスの呼びかけを聞いて思い切って一歩を踏み出しました。そして、これまでのところ何とか水の上を歩き続けています。
 「強い風」を意識するとき、例えば大きなトラブルに直面したり、孤独の厳しさを感じたりするとき、わたしの体は沈み始め、これまでできていたことがもはやできないように感じられます。そんな時は、必ず最初に招いてくださったイエスの呼びかけを思い起こし、今も風の向こうからわたしを招いてくださっているイエスに目を向けるようにしています。すると、またいつものように歩き始めることができるのです。
 これは修道生活だけのことではないでしょう。人生の大きな決断、例えば結婚や就職などにも当てはまると思います。神からの招きを感じて始めた結婚生活でも、途中で互いの性格や考え方の違いに気づいて愕然とし、もうこんなことは続けられないと感じることがあるかもしれません。神に呼ばれて看護師や介護士などになったとしても、途中で現実の困難さに気づいて、もうやめたくなるようなことがあるかもしれません。
 そんな時、最初に招いてくださった方の声を思い出したいものです。エスは、あらゆる困難さの「風」の向こう側から、今もわたしたちをその道へと招き続けておられます。愛する人を通して、苦しんでいる人たちの叫びを通して、イエスは今もわたしたちを呼んでおられるのです。その声に耳を傾け、イエスをまっすぐに見つめながら、水の上を歩いてゆきましょう。
※写真の解説…淡路島、慶松原海岸にて。