やぎぃの日記(105)福島はいま5〜南相馬市原町区


福島はいま5〜南相馬市原町区
 8月24日の早朝、柳沼さんの車で南相馬市へと向かった。途中、計画的避難区域の指定を受けて全村避難が行われた飯舘村を通過した。「東北のスイス」と呼ばれるのもうなずけるほど美しくのどかな風景だったが、見かける家々はどれも雨戸を固く閉め、見渡す限りに広がる畑は雑草に覆われていた。車窓を流れる風景を眺めながら、この美しい土地が高濃度の放射能によって汚染されているとはにわかに信じられなかった。窓を開けて風を入れても、臭いも刺激も何もない。
 飯舘村を通り抜けると間もなく山が開け、南相馬の市街地に出た。わたしたちはまずボランティア・センターに向かい、午前中は遺留品洗浄の仕事を手伝わせてもらった。センターには、関東からのボランティアを中心に老若男女、たくさんのボランティアが集まっていた。作業をしながら地元からのボランティアの方達に話をうかがうことができた。ここは原発から30キロ圏内、危険なのは分かっているが、どのくらい危険なのかは誰の言葉を信じていいのかまったく分からない。そんな中で、誰それさんのところが戻ったから、もう安全なんじゃないか、というような判断で多くの人がこの辺りに戻ってきているという。
 確かにボランティア・センター自体、原発から25キロのところにあるのだが、辺りはお店も開いているし、ほとんど普通の生活が戻っているようだった。3月、4月はほぼ無人状態だったというが、今は、子どもがいる家庭を除いて住民の大部分がすでに戻っているらしい。原発が再度爆発する危険性はほとんどなくなったので、9月初めにも緊急時避難準備区域の指定は解除される見通しだ。空間線量も、この辺りは0.4-0.5マイクロシーベルト/時で、原発から50キロ以上離れた二本松市福島市よりもむしろ低いくらいの線量に留まっている。まだ無人状態に近いのだろうと想像しながら30キロ圏内に向かったわたしは、少し意外な思いがした。「早く戻れてよかったですね」と言ってよいのかどうか、それすら判断に迷った。
※写真の解説…雑草に覆われた畑。飯舘村にて。