バイブル・エッセイ(204)新しい教え


新しい教え
 そのときイエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」(ルカ5:36-39)
 新しい布きれは洗うと縮みますから、伸縮性のない古い布に継がれれば布を裂いてしまいます。新しいぶどう酒は発酵してガスを出しますから、伸縮性のない古い皮袋に入れられれば皮袋を破ってしまいます。どんどん変わっていく新しいものは、柔軟な新しいものと一緒にするのがいい、それがイエス様の言いたかったことでしょう。
 ここでどんどん変わっていく新しい布やぶどう酒はイエス・キリストの教えを、伸縮性を失った古い布や皮袋は旧約の教えを信じる人々の心を示していると考えられます。ご存じのとおり、旧約聖書は「このようなときには、こうしなさい」という詳細な規定を記した、何千もの律法から成り立つ書物です。そのため旧約の教えを信じる人々の心は、律法を文字通り厳密に守らなければ気が済まないとか、書いていないことはしなくてもいいとか、そういった硬直した考えに陥ってしまいがちでした。そのため、まったく新しい教えであるイエスの教えを受け入れることができなかったのです。
 それに対して、イエス・キリストの教えを記した新約聖書には「このようなときには、こうしなさい」というような形での教えがあまりありません。たとえ話などが示されて「だとすれば、あなたはどうするのか」というような問いかけで終わっている場合が多いのです。答えは、祈りの中で神に問いかけながら探すよりほかにありません。新約を信じるわたしたちは、絶えず変わっていく状況の中で、あらゆる思い込みや先入観を捨てたのびやかな心で神の呼びかけを受け止め続けるよう召されているのです。
 残念ながら、歳を経るにつれて人間の心には「このうよなときには、こうしなければならない」というような律法が次々に刻み込まれゆく傾向があります。そして、どんどん変化する新しいものが受け入れられなくなっていくのです。状況の中で絶えず変わっていく神の呼びかけを柔軟に受け止められる、新しい布、新しい皮袋でありつづけたいものです。
※写真の解説…木もれびを受けて輝く白樺。兵庫県北部、兎和野高原にて。