バイブル・エッセイ(205)イエスのとりなし


エスのとりなし
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:15-20)
 仲間が自分に対して罪を犯したとき、例えば悪い噂を広めたり、打ち明けた秘密を洩らしたり、預けたお金を勝手に使ってしまったり、そんなことをしたとき一体どうしたらいいでしょう。イエス様は「二人だけのところで忠告しなさい」とおっしゃいます。
 忠告するということは、相手を責めるということではありません。相手を責めて報復するのならば、二人だけにならず、公の場でその人の罪を明らかにした方が効果的でしょう。イエス様がおっしゃる「忠告」とは、相手を責めて苦境に追い込むということではなく、相手が回心して神様のもとに戻ってくるように呼びかけるということです。相手をゆるした上で、相手の救いを切に願って呼びかける、それが忠告するということなのです。
 ですが、相手が自分の信頼をひどく裏切ったような場合、どうしても感情的になって相手を責めてしまいがちです。そうすると、相手はさらに態度を硬化させて神様から離れて行ってしまうかもしれません。そんなときには、第三者にあいだに入ってもらうのも一つの方法でしょう。第三者の目から見てもらうことで、誤解や思い込みが解け、謝るべき点がはっきりするかもしれません。
 もっといいのは、和解と一致を求めて相手と一緒に祈ることだと思います。話し合ってもどうにもならないと感じたら、口を閉じて一緒に祈ってみてはどうでしょう。そうすれば「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と約束してくださったイエス様が、必ずわたしたちのあいだに来て和解をとりなしてくださるはずです。
 もし一緒に祈るのが難しければ、遠くからでもいいので相手のために祈ってみましょう。聖霊の光がわたしたちの心を照らし、怒りやわだかまりの黒雲を追い払って和解への道を示してくれるはずです。祈っているうちに、相手の中にイエス様がおられるのにさえ気づくかもしれません。
 さまざまな弱さや罪を抱えた人々の集まりである教会の中でゆるしと和解を実践していくためには、イエス様にあいだに入って頂くことがどうしても必要です。心を合わせて共に祈り、イエス様に来ていただきましょう。
※写真の解説…日光、小田代ヶ原にて。