やぎぃの日記(110)福島はいま10〜福島で考えたこと1


福島はいま10〜福島で考えたこと(1)
 今回の福島訪問では、原発事故によってまき散らされた広島原爆168個分とも言われる大量の放射能が、人々の生活にどれだけ大きな影響を与えているかをあちこちで実感した。仮設住宅で一日も早く故郷に帰れる日を待ちわびるお年寄りたち、飯舘村の雑草の生い茂った田畑と人気の絶えた民家、原発から25キロのところで教会の復興に努力する人たち、そして「風評被害」に苦しむ福島のお百姓さんたち。そのような現実に直面し、人々と出会う中で考えたことをまとめておきたい。
1.放射能汚染で苦しむ人々のために
 放射能が危険なのはわかっているが、どのくらい危険なのか本当のところがよく分からない。チェルノブイリで支援活動を続けてきたという放射線科の医師や原子力の専門家たちの間でさえ、意見が大きく分かれている。それが大きな混乱をもたらしていると思う。
 どのくらい危険なのかがはっきりしない場合、最悪の可能性を想定して避難するのが緊急時対応の基本だろう。しかし今回の場合、それをすると福島に住む人々の暮らしが完全に破壊されてしまう。人々の命の安全を守りながら、同時に人々の生活を守るため、行政はぎりぎりの判断をせざるをえない。その結果つくられたのが今の避難基準だ。食品安全基準についても、ほとんど同じことが言えるだろう。福島の農民や漁師、畜産業者の暮らしを守るためには、最悪の可能性を想定した基準はとりえない。
 そのような現実の中で、福島の人たちは自らの生活と命を守るために懸命の努力をしている。放射能汚染の危険を強調しすぎるなら、それは福島の人々の暮らしを破壊することになるし、逆に現在の避難基準や食品安全基準が現実とのぎりぎりの妥協の産物であることを忘れて安全ばかり強調するなら、それは福島の人々、とりわけ子どもたちの命を脅かすことになるだろう。福島への支援を考えるとき、そのような全体の状況を見渡しながら慎重な判断をしていく必要があると思う。
※写真の解説…福島の山並みの向こうに沈んでゆく夕日。