やぎぃの日記(116)東北被災地はいま2〜カルカッタの折鶴


東北被災地はいま2〜カルカッタの折鶴
 被災地の最新情報を聞いたあと、立ち去る前に手土産で持って行った2012年のマザーテレサ・カレンダーを成井神父に手渡した。最後のページに掲載されているマザーの墓とその上に乗せられた色とりどりの折鶴を見せながら、折鶴は世界中から集まったボランティアたちが東北への思いを込めて作ったものだと説明すると、成井神父の口から思わぬ言葉が出てきた。「ああ、この折鶴ならそこにかけてありますよ」というのだ。確かに、入り口にたくさんの折鶴をつなげた大きな千羽鶴がかけてあった。
 2011年3月11日、わたしはカルカッタ東日本大震災の発生を知った。第三修練後の実習でカルカッタに行き、ミサを立てたりボランティアをしたりしていたのだ。春休みで100人以上いた日本人ボランティアたちもわたし自身も突然の知らせに動揺し、インドから一体何ができるのかと途方に暮れた。どうしたらいいだろうと考えながらマザーの墓の前に座っていたとき、一つの思いつきが心に浮かんだ。被災地のためにも、ボランティアたちの心を鎮めるためにも、折鶴を折ってマザーの墓に捧げたらどうかということだった。ボランティアのほとんどは未信者で祈りを知らない。しかし、被災地の人々のために無心に折鶴を折り、マザーの墓に捧げるなら、それは立派な祈りとなってマザーの愛と共に被災地へ届く。そう思ったのだ。

 わたしが呼びかけるとヨーロッパやアメリカ、中国などからのボランティアたちも協力してくれたので、たちまち数百羽の折鶴ができあがった。折鶴は2週間ほどマザーの墓の上に飾られてから、日本に帰ったあと東北へ行くつもりだというボランティアの手に託された。
 その後、折鶴がどうなったか気になりながら消息を確認するすべがなかったので、今回の再会は本当にうれしかった。世界中から集まったボランティアたちの思いとマザーの愛は、折鶴の翼に乗って東北の地に届いていたのだ。腰をかがめて折鶴をよく見ると、作り損ねて普通の倍くらい太った鶴もいた。間違いなく、あのとき外国のボランティアたちが作ったものだ。思わず目頭が熱くなった。