バイブル・エッセイ(219)値高い硬貨


値高い硬貨
 ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:15-21)
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という言葉は、単に相手をやり込めるだけのレトリックをはるかに越えているように思います。皇帝の権威のもとでのみ保障され、意味を持つ財産、地位、名誉などはすべて皇帝の刻印を押されたものだから皇帝に返せばよい。しかし、神の似姿として造られ、神の刻印を押された人間の魂は全て神に返されるべきだ。この言葉から、イエスのそのような深い信念を感じるのです。
 昨日まで3日間、東北各地を周って被災者の方々から話をうかがってきました。その中で強く感じたのも、この人たち1人ひとりの魂に確かに神の刻印が押されているということでした。牡鹿半島の先端部、十八成浜地区で出会ったお年寄りのご婦人は、長年住み慣れた家を津波で流されながらも、日々聖書を読むことを命の糧にして仮設住宅での日々を過ごしていると語っておられました。十八成浜地区は未だがれきの撤去もほとんど行われておらず、7ヶ月経ってもまるで昨日津波が来たかのような惨状を呈しています。そのような状況を日々目の当たりにしながら、それでも希望を失わないこのご婦人の魂に、確かに神の子の尊厳が輝いているのを感じました。
 放射能汚染が深刻な福島市で子育てをするお母さんたちは、放射能の危険性についてどの情報を信じていいのか全く分からない状況の中で、ただひたすら子どもの幸せを願って放射能とのあくなき戦いを続けていました。自分自身を顧みず、ただひたすら子どもたちの幸せを願うお母さんたちの姿に、神の愛が刻印されているのをはっきりと感じました。
 東北の人々の命と日本経済を天秤にかけて、復興や除染にこれ以上お金をかけるわけにはいかないというような議論を聞きますが、それは全く間違っていると思います。日本経済に何百兆円の価値があるか知りませんが、神の似姿であり、神の刻印を押された硬貨である人間の魂の値はそれをはるかに上回るものです。神の前に無限の価値を持った人間の魂が、一つたりとも失われることがあってはなりません。被災地の人々の苦しみを思い、祈りの中で共にその苦しみを担いながら、わたしたちにできるすべてのことをしていきましょう。 
※写真の解説…津波で完全に破壊された牡鹿半島鮎川浜の集落。十八成浜もほとんど同じ状況。