教会報11月号巻頭言「ただ一つ大切なもの」


カトリック六甲教会・教会報11月号巻頭言
ただ一つ大切なもの
 10月中旬、イエズス会の仕事で仙台から石巻、女川、牡鹿半島を周ってきました。そのときの体験の中から一つ、牡鹿半島先端部にある十八成(くぐなり)地区で出会った信者さんのことをご紹介したいと思います。
 十八成地区はかつて白砂青松の浜でしたが、津波によって砂浜はすっかり流され、松も倒されて今は見る影もありません。浜辺にあった100軒ほどの家も流されました。私たちが訪ねた石巻教会信徒のご婦人、遠藤さんの家はかろうじて波を免れていましたが、隣家は流されていました。遠藤さんの案内で、私たちは十八成と鮎川の集落の被害状況を見て回りました。
 石巻や女川の街では、瓦礫やゴミの撤去がかなり進み、復興に向かう確かな動きが感じられましたが、この辺りはまだほとんど手つかずの様子でした。外壁が激しく損傷した建物や、倒れかかった建物がそのまま放置され、あちこちにコンクリートアスファルト、漁網、ブイなどが散らばっています。7ヶ月以上過ぎたはずなのに、まるで昨日津波が来たかのような惨状です。
 遠藤さんは私たちに、津波で家を流され、高台の仮設住宅で独り暮らしをしている友人の田端さんを紹介してくれました。田端さんはプロテスタントの信者さんですが、ご主人の葬儀のとき骨箱に十字架が記されているのに気付いた遠藤さんが声をかけたことから交際が始まったそうです。
 田端さんに仮設住宅の中を見せてもらいましたが、とても簡素な作りで、果たして三陸海岸の冬をこれで乗り切れるのか心配になるくらいでした。一向に復興が進まない街をここから眺めながら、きっと辛い日々を送っておられるだろうと思って、わたしは田端さんに「たいへんですね」と声をかけました。すると田端さんは、机の上の聖書を手に取ながらにっこりほほ笑み「いえ、わたしにはこれさえあれば大丈夫なんです」と答えられました。その穏やかなほほ笑みの中に、私はまばゆいほどの信仰の輝きを感じました。
 私たちは田端さんのように、全てを失っても聖書に記された神の御言葉さえあれば大丈夫と言えるでしょうか。田端さんのほほ笑みの奥にある謙遜な心、神への信頼と感謝に学びたいと思います。
※写真の解説…牡鹿半島鮎川浜地区にて。