バイブル・エッセイ(225)愛の完成


愛の完成
 復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。(ルカ20:27-36)
 死別によって再婚した人たちの人間関係は復活した後どうなるのかとの問いに対して、復活した人たちの間ではもはや「めとることも嫁ぐこともない」とイエスは答えられました。見事な答えではありますが、そう言われると困惑する人もいるでしょう。この世で結ばれた婚姻の絆や家族の絆は、復活のあとには消えてしまうのでしょうか。愛し合って結ばれた妻や夫と、復活の世界ではまるで他人のようになってしまうのでしょうか。
 そうではないと思います。むしろその逆で、この地上で結ばれたわたしたちの愛の絆は、復活によって完成されるのです。この地上でわたしたちは相手を自分の夫や妻と思って愛しますが、復活の世界では互いをその真実の姿として、すなわち「神の子」として認めて愛し合うようになるのです。そのときもはやわたしたちは、相手が美しいから、優れているから、自分を愛してくれるからというような理由で相手を愛するのではありません。相手がかけがえのない「神の子」だからという理由で、無条件に受け入れ、無償で愛するのです。ここに愛の完成があります。地上で始まった不完全な愛の交わりは、復活の後、お互いを「神の子」として愛し合うときに完成するのです。
 2人の間に結ばれた愛の絆は完全なものですが、決して排他的なものではありません。復活の世界ではわたしたちの目に全ての人がその真実の姿、「神の子」の姿で現れます。2人の間で完成した「神の子」の愛の交わりの輪は、無限に大きくなってすべての人を包み込んでゆくでしょう。
 復活の後、私たちはもはや夫や妻としてではなく「神の子」として愛し合います。それはより自由で、より深い愛の完成です。終わりの日に実現する愛の完成を目指して、地上で生きている今からこの愛を始めましょう。
※写真の解説…森林植物園の紅葉。2011年11月17日撮影。