《2012年・新年のご挨拶》


2012年・新年のご挨拶
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
 元日だった昨日、神戸市役所の隣で行われている越冬炊き出しに参加しながら「人間が幸せになるために、本当に必要なものはなんなのか」と考えていました。
 噴水の縁に腰かけ、暖かな日差しを浴びながら食べた炊き出しの雑炊は本当においしくて、体の底から喜びや生きる力が湧き上がってくるのを感じました。「一椀の質素な雑炊で、人はこんなに大きな幸せを感じられるのか」というのがその時に感じたことです。人が幸せに生きるために、実はそれほどたくさんの物や贅沢な暮らしは必要ないのかもしれません。
 一方で痛切に感じたのは、野宿者の方々が抱えている孤独の深刻さです。家族との連絡も取れず、亡くなれば行路病死者としていわゆる「無縁死」扱いされてしまうような状況に置かれた彼らの表情や後姿からは、計り知れないほど深い孤独がにじみ出ているように感じました。人間が幸せに生きていくためには、誰かから大切にされ、受け入れられる場所、孤独を感じることなく安心して過ごせる自分の居場所がどうしても必要なのです。
 昨年3月カルカッタを訪れたときマザー・テレサの後継者として「神の愛の宣教者会」総長を務めているSr.プレマが次のように言っていたのが思い出されます。「日本は、今回の大震災でこれまでのように豊かな国ではなくなるかもしれません。ですが、安心してください。幸せになるために、それほどたくさんの物は必要ないのです。」必要以上の物を手に入れ、それによって自分が何者かであるように思いこもうとすること、心の空虚さを満たそうとする際限のない欲望の追及は、決して人を幸せにしません。むしろ大切なのは、神とのつながりの中に、そして家族や友人、共同体の仲間たちとのつながりの中に自分の居場所を見つけること、神様が与えて下さった使命を見出し、この世界に自分の居場所を見つけ出すことでしょう。すべての人が必要とされ、自分の居場所を見つけられる社会を実現しなければなりません。
 原子力発電所を存続するのかという議論の中で、電力に依存した生活の見直しが訴えられていますが、その根幹をなす清貧の教えにもう一度耳を傾ける必要があると思います。私たちが生きていくために本当に必要なのは、ありあまるほどの電力ではなく、社会の中に居場所を見つけ、神との、そして人々とのつながりの中で心の底から満たされていくことなのです。自分自身の生き方もしっかり見直しながら、今年はこのことを強く訴えかけていきたいと思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
※写真の解説…神戸市灘区、丸山公園から見た2012年の初日の出。中央部のビル群は、関西国際空港に隣接する「りんくうタウン」。背後の山並みは紀伊山地