やぎぃの日記(131)震災から17年目の朝に


震災から17年目の朝に

 震災から17年目の朝、4時半に起きてカトリック神戸中央教会に向かった。阪神・淡路大震災の発生時刻である5時46分に行われる「追悼と新生のつどい」に参加するためだ。
 5時20分頃に到着すると、聖堂ではすでに何人かの方々が熱心に祈っておられた。わたしもそれに加わり、しばらく目を閉じて祈った。この小聖堂が建っているのはかつて幼稚園の建物があった場所、つまりわたしが17年前にボランティアとして2週間ほど寝泊まりした災害支援本部があった場所だ。祈りながら、当時のことが思い起こされた。
 あれは震災から1週間ほどたった頃のことだ。わたしは電車と自転車を乗り継いでこの教会にたどり着き、支援本部に転がり込んだ。何か手伝いたいという思いと、神戸で一体何が起こっているのかこの目で確かめたいという思いが半々くらいだったと思う。そこでの主な仕事は、毎日作られるたくさんのおにぎりを自転車で鷹取教会まで運ぶことだった。その途中で長田の焼野原を通り抜けながら、多くの方々が焼けた地面を掘り返したり、かつての家の跡に立ち尽くしたりしている様子を見かけるたびに胸が痛んだ。わたしはいい気になってボランティアなどと言っているが、この人たちはわたしをどう見ているのだろうか。単なる傍観者、気まぐれでやってきたボランティアにすぎないわたしは、家族や住まいを失ったこの人たちにとって一体何なのだろうか。わたしはいつも強い自責の念に駆られながら自転車をこいでいた。
 そのわたしが、十数年を経て神父として神戸の地に戻ってきた。短期間のボランティアとしてではなく、この地に住み続けながら、神戸の苦しみや喜びを共に生きる神戸市民として戻ってきたのだ。苦しんでいる人々に寄り添いたいと思いながら、結局、傍観者にしかなれなかったというあのときの悔しさを忘れないようにしたい。同じ神戸市民として、神戸に住む人々の苦しみにできる限り近づき、寄り添ってゆきたい。聖堂で目を閉じながら、わたしはそんなことを思っていた。
 5時46分近づいてくるにつれて、気持ちが乱れた。この時刻は、17年前、絶対に来てはいけなかった時間だ。もし時を戻せるなら、逃げろと叫んで街を駆け回り、すべての人を逃がしたい。しかし、その時は無情にもやって来てしまった。この時を乗り越えてここまで生きてきた人たちと心を一つにして祈りを捧げ、これからも共に歩み続けたい。 
※写真の解説…震災から17年目の朝を迎えた、カトリック神戸中央教会。