やぎぃの日記(139)大船渡から5

 
3月31日(土)大船渡から5

 大船渡ベースを朝8時過ぎに出発し、バスで5時間かけて仙台へ、仙台からは飛行機で1時間半ほどで大阪へ無事に帰ってくることができた。途中、仙台ではカトリック元寺小路教会に置かれた仙台教区サポートセンターを訪ね、責任者の成井神父様から被災地の現状について話をうかがった。神父様からの話も含めて、被災地の現状を最後にまとめておきたい。
 総延長600キロに渡る三陸海岸沿いの町々と福島県内陸部が、地震津波放射能によって被害を受けた今回の災害の被害状況を一言で要約することは困難だ。あえて言うならば、受けた被害の程度、内容によって復興の状況も町ごとにばらつきがあるということだろう。わたしが今回訪ねた範囲で言うなら、大船渡や釜石、気仙沼のように町の半分くらいが流された町では、確かに復興の気配を感じ取ることができた。残った半分が、流されてしまった部分を少しずつふさいぎ始めているという印象だ。しかし、陸前高田や大槌のように町役場も含めて町がそっくりそのまま流されてしまったというような町では、復興はまだまだ遠い先の話のように感じられた。やはり、行政という復興を推進する主体自体がなくなってしまったのは大きな痛手のようだ。大槌ベースでは、今でも泥かきのためにボランティアを派遣していると聞いた。
 成井神父様の話では、南三陸の被害もひどく、米川ベースからもまだ泥かきのボランティアが派遣されているという。宮古は比較的に復興が進んでいるようで、宮古ベースの主な仕事は傾聴ボランティアだという。福島では、南相馬市への帰還が許可されたことに伴って同市にたくさんの住民が一度に戻ってきており、そのために混乱が生じているということだった。東京教区が、その人たちのために活動するセンターの設立を考えているという。
 現在、カトリック教会は三陸海岸沿いに8箇所のベースを設けて、被災地にしっかりと腰を据えた被災地支援に取り組んでいる。最近、復興が少しずつ進んでくるに従って、住民たちを自立させるためにNGOはもう引き上げるべきだという声が出始めているそうだが、成井神父様は「教会の使命は、住民の一人として、住民たちと共に歩んでいくこと。手伝うために入ったのなら引き上げるが、わたしたちは人々と共に生きるために入ったのです」と語っておられた。まったくその通りだろう。遠く神戸から被災地を訪れることはなかなか難しいが、これからも関心を持ち続けることによって、祈り続けることによってその歩みを共にしたいと思う。
※写真の解説…1枚目、市街地に取り残された船。気仙沼市にて。2枚目、大船渡教会に登っていく坂の土手に咲いたフキノトウ