バイブル・エッセイ(271)信仰の大地を歩く


信仰の大地を歩く
 夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ6:16-21)
 吹きすさぶ風の中、激しく波立つ湖の上をイエスが歩いてきます。水の上を歩いていること自体が驚異的なことですが、嵐の湖を何事もないかのように平然と歩いている様子は、弟子たちにとって信じがたい光景だったに違いありません。何も恐れずに歩いているうちに、舟は間もなく向こう岸に到着しました。この出来事によって、イエスは一体どんなメッセージを弟子たちに伝えたかったのでしょう。
 それは、信仰の力ということだと思います。神を信頼して疑わないなら水の上を歩くくらいは容易なことだし、どれほど強い風が吹き、水面が波立ったとしても何も恐れることがない。イエスの姿はわたしたちにそのことを力強く語っているように思います。エスは水の上を歩いていたのではなく、揺るがぬ信仰の大地を歩いていたのだと言ってもいいでしょう。信仰の大地をしっかりと踏みしめながら歩いている人にとっては、この地上のいかなる困難も恐れるに足らず、道の障害にはなりえないのです。
 わたしたちは一体、何の上を歩いているでしょうか。もしこの世の評判や地位、名誉、あるいはお財産などを持っていることに由来する自負心やプライドを拠り所とし、その上を歩いている人は、まるで変転極まりない湖の上を歩いているようなものです。事故や病気、他人からの悪意などの嵐が吹き、水面が大きく揺れ動くとき、沈んでしまうのではないかという恐れにとらわれることでしょう。
 神にすべてを委ね、嵐を恐れず歩いていくうちに、舟は間もなく向こう岸に到着します。信じて歩きつづければ、嵐は間もなく去っていくということでしょう。イエスとともに歩き続けるなら、嵐はすぐに去っていき、向こう岸、すなわち「神の国」の岸辺にたどり着けるということかもしれません。わたしたちが信仰を失いそうになるとき、イエスはどんな嵐の中でもわたしたちのそばにやって来て、わたしたちの信仰を励ましてくださいます。恐れることなく、イエスとともに信仰の大地を歩いていきましょう。
※写真の解説…奥日光、中禅寺湖にて。左手に見えるのが男体山