バイブル・エッセイ(287)ともし火を燃やす


ともし火を燃やす
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」(マタイ6:19-23)
 「あなたの中にある光が消えれば」とイエスは言います。一体、わたしたちのどこに光があるのでしょう。どうしたらその光を消さず、この世界に輝かせることができるのでしょうか。
 わたしたちの中にある光、それはきっと神が与えてくださった命の輝きのことでしょう。神の栄光をこの地上に輝かせる、まばゆい命の輝きです。誰の中にも必ず神が与えてくださった命の炎が燃えていて、澄んだ目や全身を通してこの世界に輝き出します。では、どうしたらその火を消さず、もっと明るく輝かせていくことができるでしょうか。教会学校のリーダーから、こんな話を聞いたことがあります。
 毎年、キャンプのときに来てくれるリーダーの中に、キャンプ・ファイアーの火を大きく燃え上がらせることに使命を感じている青年がいます。実際、彼に火を任せておくと、毎年子どもたちが大満足する立派なキャンプ・ファイアーになるのです。ある時、彼にこつを聞いてみました。すると返ってきた答えは、ちょっと意外なものでした。火を大きくするこつは「薪をたくさん入れないこと」だというのです。火を大きくしようと焦ってたくさんの薪を入れすぎれば、逆に火は小さくなり、間違えば消えてしまう。逆に、隙間を空けて新鮮な空気を送り込んでやることで、炎はどんどん大きくなっていくとのことでした。確かに、言われてみればその通りです。
 これは、わたしたちの命の炎にも当てはまることかもしれません。仕事という薪、計画という薪、理想という薪、そういった薪をどんどん心に投げ込むことでもっと炎を大きくし、もっと人生を輝かそうと思うと、生きるのに疲れ、命の炎はかえっては小さくなってしまうのです。それらの薪は命を燃やすために必要なものですが、大切なのはそれらを投げ込むときに十分な隙間を作ることだと思います。聖霊の新鮮な風が吹き抜ける十分な隙間があってこそ、わたしたちの命の炎は大きく燃え上がるのです。
 隙間を「心のゆとり」と言い換えてもいいかもしれません。あれもしなければ、これもしなければと焦り、心を薪で埋めてしまえば、最悪の場合命の炎が消え、生きる力を失ってしまうことさえありえます。どんなに薪を投げ込んでも、聖霊の風が吹き込まない限りそれを燃え上がらせることはできません。自分の命を輝かせたいと思えば思うほど焦るのをやめ、心に聖霊をお迎えするための隙間、心のゆとりを作っていきたいと思います。
※写真の解説…教会学校キャンプにて。