祈りの小箱(2)聖イグナチオ『彫刻の奇跡』


聖イグナチオ『彫刻の奇跡』

 前回、イエズス会創立者イグナチオ・デ・ロヨラの最も有名な祈りである「すべてを捧げる祈り」をご紹介しました。今回は、全てを神に捧げたとき、わたしたちが一体どうなるのかを述べた聖イグナチオの言葉をご紹介したいと思います。
 聖イグナチオは、わたしたちの霊的な成長を、のっぺりとした木が、神の手の中にあって美しい彫刻に掘り上げられていく過程に譬えて語っています。神という彫刻家は、木であるわたしたちから容赦なく余分なところを削り取り、形を作り出そうとするというのです。削り取られる部分は、もしかするとわたしたちにとって大切で、決して削られたくないと思っている部分かもしれません。しかし、わたしたちがもっと美しい彫刻になりうることを知っている神は、鑿を打ちおろし、その部分も削り取ろうとされるのです。
 もしそれを嫌がり、鑿を避けてしまうなら、わたしたちはいつまでたっても未完成なままとどまることになります。あえて痛みに耐え、その鑿を受けたときにこそ、わたしたちは本当の形になることができるのです。日常生活の中で誰かからちょっとした誤りを指摘されることが、小さな鑿の一振りであるのかもしれません。自分の誤りを認めなければ、それは鑿を避けたことになります。その鑿は、あるときには思いがけない転勤や病気という形で振り下ろされるかもしれません。不条理に思えても、必ず神に何か御計画があると信じたいと思います。
 一つひとつの鑿を正面から受け止めていくなら、いつの日か、わたしたちはまったく予想もしていなかったほど美しい彫刻に仕上げられた自分を見い出すでしょう。そして、余計な部分が削られるのを拒もうとした自分の愚かさを知るに違いありません。その日を信じて、神の振り下ろす鑿に身を任せたいと思います。
★このカードはこちらからPDFでダウンロードできます。⇒ 『彫刻の奇跡』.PDF 直