やぎぃの日記(148)『心を癒す言葉の花束』(アルフォンス・デーケン著)


『心を癒す言葉の花束』(アルフォンス・デーケン著)
 言葉には、人の心を癒す力がある。この本を読んで改めてそのことを実感した。もちろん、デーケン神父が紹介してくださる言葉だから胸に響くということもある。ただ口先だけで語られ、引用されただけならば、どんなにすばらしい言葉も陳腐に響くだろう。しかし、これらの言葉をご自身の生涯をかけて生き抜いてきて、今年80歳になられる神父様が語るとき、どの言葉もその本来の力と輝きを放つ。
 デーケン神父は、小学生の頃に第二次世界大戦を体験しておられる。非常に優秀な学生だったため、全国から特別に優秀な学生だけが選抜されるナチスの指導者養成学校への推薦を受けたこともあるという。しかし、小学生のデーケン少年はその推薦をきっぱりと拒んだ。ユダヤ人を迫害するナチスに加担することは、彼が信じていた神の愛の教えに反するからだ。当時のドイツ社会の状況を考えるとき、ナチスに対して反抗するということは大人でも難しいくらい勇気のいることだった。しかし、デーケン少年は、自らの信仰に忠実に、はっきりとナチスに加担することを拒んだのだ。
 連合軍によるナチスからの解放を待ち望んでいたデーケン少年を、思いがけない悲劇が見舞った。進駐してきた連合軍を歓迎するために表に出た祖父が、あろうことか連合軍の兵士に撃たれてしまったのだ。目の前で祖父を殺されたデーケン少年は、当然、連合軍に対して激しい怒りを覚えた。しかし、祖父からゆるしの大切さを教え込まれていたデーケン少年は、連合軍の兵士が家に入ってきたときとっさに手を差出し、歓迎の握手を交わしたという。
 このような人生を送ってきた人が語る愛とゆるしの教えは、まさに本物だと言わざるをえない。神から自分に与えられた使命に忠実に、人々の苦しみによりそい続けること。病気、事故、肉親の死など、理不尽な出来事の中で生きる力を失ってしまった人々に、あらゆる苦しみを越えてわたしたちの心に力を与え下さる神の愛を説くこと。福音宣教の熱意に燃え、全てを捨てて日本に来たデーケン神父は、これまでの生涯をただそのことだけに捧げつくしてこられた。80歳を迎えてさらに冴えわたるデーケン節に励まされると同時に、わたしもデーケン神父のように神から与えられた使命を力の限りに生き抜きたいと願わずにいられない。それが、わたしの正直な読後感だ。

心を癒す言葉の花束 (集英社新書)

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