【マザー・テレサ帰天15年記念行事・終了御礼】


マザー・テレサ帰天15年記念行事・終了御礼
 このブログでお知らせしてきたマザー・テレサ帰天15年記念行事「小さなことに大きな愛を」が、9月22日、カトリック六甲教会にてが無事に開催されましたので御報告させていただきます。当日は、新聞の告知やポスター、チラシをご覧になった方や、ブログなどインターネット上でのお知らせをご覧になった方が140人ほど集まって下さいました。遠くは愛媛、高松、岡山や奈良、京都から来てくださった方もいらっしゃいました。愛媛からは片道4時間かかったとのことで、マザーを慕う皆さんの思いに心が熱くなりました。ボーガルト神父様の心温まるお話から始まって、懇親会に至るまで、本当に神の恵みに満たされたひと時でした。

1.ボーガルト神父様の講話「小さなことに大きな愛を」
 マザー・テレサ共労者会日本支部創立者で、マザーが来日した際には通訳としてマザーに同行して日本中を旅したボーガルト神父様が、わざわざ姫路から来て貴重なお話をしてくださいました。まるで黙想指導のような静かな祈りの雰囲気の中で、ボーガルト神父様は、次の3つのマザーの言葉を紹介してくださいました。
「すばらしいことを神様のために」
 これは、マザーが口癖のように言っておられた言葉。神様がこれほどまでにわたしたちによくしてくださったのだから、わたしたちはそのご恩に報いずにいることができるでしょうか。「すばらしいことをしなければならない」、というのではなくて、「すばらしいことをせずにはいられない」。そんなマザーの気持ちが込められているとのことでした。
「小さなことに大きな愛を」
 神を本当に愛している人だけが、小さなことに大きな愛を込めることができます。大きなことができる人は、近頃、意外と多いのです。しかし、小さなことに大きな愛を込められる人が、どんどん減って来ています、とボーガルト神父様。大教会の主任司祭を退かれ、今は仁豊野で高齢になった司祭たちのお世話をしておられるボーガルト神父様の言葉にはとても重みがあります。
「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。」
 マザーは自分をよく、「神様の手の中の小さな鉛筆」だと言っていました。神様の思った通りに動いて絵を描く、神様の道具だということです。マザーの活動はまたろうそくにも似ています。ろうそくは、自分を燃やし、小さくすることで周りの人々を照らし、温めるのです。これもまさに、ボーガルト神父様ご自身に当てはまることのように思えました。

2.感謝ミサ
 ボーガルト神父様の講話に続いて、マザー・テレサをわたしたちの時代に与えてくださった神様に心から感謝してミサをお捧げしました。説教はわたしが担当し、マザーが1997年9月5日、帰天の日の日付で書き残した手紙の内容をご紹介しました。
 ボーガルト神父様の講話に、もう一つマザーの好きだった言葉を付け加えるとすれば、それは「マリアを通してすべてをイエスのために」でしょう。これも、マザーの口癖のような言葉でした。聖母マリアの信頼、謙遜、喜びの中にこそ、イエスのために自分のすべてを捧げるわたしたちの信仰の最高の模範があるということです。
 マザーは、1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の中で十字架上のイエスの渇きと出会い、その渇きの中にイエスの無限の愛情を感じ取りました。しかし、この言葉を最初にイエスの口から直接に聴き、その愛の深さを全身で感じ取ったのは、十字架の傍らに立っておられた聖母マリアだったのです。もしわたしたちがイエスの渇きに込められた本当の愛を知りたいならば、聖母マリアと共に十字架の傍らに立つ以外にないと、最後の手紙の中でマザーは指摘しています。十字架の傍らに立ち、イエスの痛みと苦しみをわが身のことのように味わった人だけが、イエスの口からこぼれた「渇く」という言葉の本当の意味を知ることができるということでしょう。

3.懇親会
 ミサの終了後、懇親会にも半分くらいの方が残って参加してくださいました。ボーガルト神父様を慕って遠方からやって来られた方がたくさんおられ、神父様を囲む人々の輪が途切れることはありませんでした。ボランティアとして長年、マザー・テレサと親交を深めておられた是枝律子さんも、車いすで遠方から駆けつけてくださいました。マザーと共に過ごした日々の貴重な写真を見せていただき、心から感謝です。わたし自身は、ふだんブログやfacebooktwitterを通してしかお会いできない方々と直接に会ってお会いすることができ、とても楽しいひと時を過ごさせていただきました。
 お忙しい中、会場にお集まりいただいたすべての皆様、そして遠くから祈りで参加し、支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。