レフ・トルストイ『人生のまっすぐな道』
今回ご紹介するのは、ロシアの文豪レフ・トルストイが短編小説『光あるうちに光の中を歩め』の中で登場人物の一人に語らせた言葉です。この小説の主人公、ユリウスはさまざまな人生の試練に直面しながら老年を迎え、苦しみの中で回心してキリスト教徒たちの村にやって来ます。年老いてもはや村のために大きな仕事ができないことを嘆くユリウスに、村の長老が言ったのがこの言葉です。
長老はまず、「神のもとに来て働く人ではなくて、息子の一人になりなさい」と勧めます。働くために来た人であれば、働いて成果を出さなければ神のもとにとどまることはできないかしもれません。しかし、息子になれば、たとえ働くことができなくても安心して神のもとにとどまることができるからです。
次に長老は、「神のみもとでは、人生に大きなものも小さなものもない。ただ、曲がったものとまっすぐなものとがあるばかりだ」と言います。無限の栄光に輝く神の前では、人間が成し遂げた仕事などはどれもとるに足りないもので、どれが大きい、どれが小さいなどと言ってみてもしょせん「どんぐりの背比べ」のようなもの。人間の尺度で測って大きいか小さいかということは気にする必要がないというのです。
神のみもとで意味があるのは、その人が神の息子、「神の子」としてまっすぐな人生を歩んだかどうかだと長老は言います。神の御旨のままに「神の子」として仕事を続けるならば、もはや世間の尺度などはまったく問題にならず、その仕事はただ「神の仕事」、わたしたちの手を通して神が実現する神の業になっていくでしょう。
この言葉と出会ったのは、わたしがまだ17歳のときでした。そのとき以来、20数年に渡ってこの言葉はわたしの人生を導く一つの指針であり続けています。きっと皆さんにとっても、役立つ指針となるのではないでしょうか。
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