やぎぃの日記(158)レフ・トルストイ著『イワン・イリッチの死』


レフ・トルストイ著『イワン・イリッチの死』
 正月休みに『光あるうちに光の中を歩め』や『イワンの馬鹿』、『人は何のために生きるのか』など、トルストイの晩年の作品を久しぶり読み返した。進路の決定に迷っていた高校生の頃や、父の死をきっかけとして人生の意味について真剣に考え始めた大学生の頃、何度も何度も読み返し、大きな影響を受けた本だ。
 今回、十数年ぶりに読み返して、トルストイのあまりに純粋な理想と透徹した人間観察力、人生の真理についての洞察などに心を揺さぶられた。そこで、試しにもう1冊読み返してみることにした。これも、ストーリーやセリフを覚えてしまうくらい何回も読んだ本、『イワン・イリッチの死』だ。
 トルストイはこの短編小説の中で、世間体や品のよさ、心地よい生活を守ることだけを考えて出世街道を歩んできた主人公、イワン・イリッチが、ふとしたきっかけで不治の病を得、苦しみぬいたあげくに死んでいくまでの様子を淡々と描き出している。
 彼が元気だったときには彼を都合よく利用していた同僚たち、彼の収入だけを目当てにしていたかのような妻や娘などは、彼が病気になるやいなや、彼を「快適な生活をかき乱す邪魔者」のように扱い始める。登場人物たちは皆、イワン・イリッチ自身と同じように、自分の快適な生活を守ることしか考えていないのだ。彼らは皆、自分もいつかイワン・イリッチと同じように死んでいくということなど想像さえしていないから、イワン・イリッチに心から同情する者は誰もいない。
 しかし、そんな中で素朴な下男のゲラーシムと、彼があまり心をかけていなかった中学生の息子だけが彼に心からの同情を示す。彼らの愛の温もりによって、死を目前に迎えようとしているイワン・イリッチの心に大きな変化が起こる。世間が大切にし、自分自身もこれまで大切にしていた世間体や品のよさ、心地よい生活などを守るための人生は、まったく無意味だったということに気づくのだ。これまで大切にしていた全てのものを無慈悲に奪い去っていく死を前にして、イワン・イリッチは人生を意味あるものにするのは、ただ神と人々のために尽くす善い行いだけだったことに気づく。そして聖餐式に与り、家族と和解して、自分の命を人々のために差し出すように死んでいくのだ。
 十代の頃にこの本を読んだとき、わたしは死をまだまだ先のことだと思っていた。しかし、一人の人間の死をあまりにもリアルに描いたこの本は、「死がこんなものであるとすれば、自分は一体どう生きていけばいいのか」ということを考える十分な手掛かりにはなった。自分の快適な生活を守るためだけに生きてゆくなら、すべてを奪い去る死の前でもう自分を守れなくなったとき一体どういうことになるか、そのような想像が、わたしをキリスト教に近づけたことは間違いがない。トルストイが示唆している通り、死を前にしても残るもの、自分の人生を意味あるものにしてくれるのは、ただ人間を越えた何か大いなる存在のため、そして苦しんでいる人々のために捧げものだけだという気がしたからだ。わたしの肉体は死んでも、自分を捧げることによって結ばれた愛の絆だけは永遠に生き続けるはずだという思いは、そのときから今に至るまで変わったことがない。
 イワン・イリッチは45歳で思いがけない死を迎えた。わたしは今年、42歳になる。トルストイのメッセージが、十代の頃よりもはるかに深く、また切実なものとして心に沁み込んでいくような気がする。 

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)