祈りの小箱(15)『心の大地』〜四旬節に当たって


『心の大地』〜四旬節に当たって
 四旬節が始まるたびに、わたしは「打ち砕かれた心」(詩編34など)という聖書の言葉を思い出します。この一年の間にすっかり固くなってしまった心の土を、打ち砕いてよい土に戻さなければ、そんなイメージです。
「自分は絶対に正しい」とか、「これだけは絶対に手放せない」、そんな思いで心の表面が固くなっていると、神の恵みの雨がどれほど豊かに降り注いでも、心の大地が潤うことは決してありません。土の中では、悪意や敵意、怒り、憎しみ、嫉妬などの石が、がたがたと音を立てています。
 ですが、鋤を入れられ、よく耕された心の土には、温かな春先の雨のようにやさしく降り注ぐ神様の恵みが、静かにしみこんでゆきます。そして、心の中にある喜びや感謝の種を芽吹かせていくのです。
 鋤は一体なんでしょうか。もしかするとそれは、耐え難いほどの侮辱かもしれません。「それだけは言ってほしくないのに」、そんなことをずばっと言われたとき、言葉は鋤のようにわたしたちの心の深くに突き刺さります。痛みを感じたときに、「なんだ、この野郎」と思って反発すれば鋤はそこで止まりますが、「まあ、本当のことだから仕方がないな」と謙遜に受け止めれば、鋤は深みにまで達し、わたしたちの心は見事に打ち砕かれるでしょう。
 打ち砕かれた心を、まもなく恵みの雨が静かに潤してゆきます。そして、心の中から「こんなわたしを愛してくださってありがとう」という感謝と喜びの祈りが芽を出すのです。
 馬鹿と言われたとき、自分は利口だと思っている人は、「なんだ、お前こそ」と反論し、喧嘩を始めるかもしれません。ですが、本当に馬鹿な人は、「うんその通り」とニコニコ笑っています。わたしは、同じ馬鹿であるならば、いつも本当の馬鹿でありたいと願っています。
 四旬節のあいだに、わたしたちの心がこなごなに打ち砕かれるよう祈ります。
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