バイブル・エッセイ(334)しもべとなるための試練


しもべとなるための試練
 エス聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔はイエスエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。(ルカ4:1-13)
 イエス・キリストは、神のしもべとして福音宣教に旅立つ前に3つの試練を受けました。1つ目の試練は、神が与えるものだけで満足できるかどうかという試練。お腹が空いたからといって神が与えないパンを無理に手に入れたなら落第ですが、イエスは見事にその誘惑を退けました。2つ目の試練は、自分の思いのままに世界を動かすことではなく、ただ神の御旨を地上に実現することだけを望んでいるかどうかという試練。世界を思いのままに動かす権力や富を選んだなら落第ですが、イエスはただ神の御旨を行うことだけを選びました。3つ目は、神の力を利用して自分が称賛を浴びることを望まず、かえってすべての栄光を神に帰すことを望むかという試練。神の力を自分の栄光のために利用したなら落第ですが、イエスはこれも見事に退けました。こうして、「神のしもべ」としての土台がしっかり定まったとき、イエスは公生活へと旅立たれたのです。
 先日、イエスが示した「神のしもべ」の覚悟の生きた証を目にする機会がありました。会議で東京に行ったときのことです。会場となる修道院に到着し、わたしはまずその晩宿泊する部屋に荷物を置きに行くことにしました。ブラザーに聞いたその部屋まで行くと、ドアが開いていて、中で誰かがモップがけをしているようでした。その人が振り返ったとき、わたしはびっくりしました。なんと、かつて世界を股にかけて大活躍しておられた高名な神父様だったのです。もう80歳を過ぎておられるでしょう。神父様はわたしの顔を見て、「早かったですね。準備がまだ終わっていませんでした」とおっしゃいます。わたしはすっかり恐縮して「とんでもありません、神父様、わたしが自分でやります」と言いました。すると神父様は、ほんとうに穏やかな笑みを浮かべながら「いえ、わたしがやります。これが、今のわたしの使命なのです」とおっしゃったのです。わたしはその一言にすっかり感動して、もう何も言うことができなくなってしまいました。
 世界を股にかけて大活躍しておられたとき、その神父様はきらびやかな生活をしておられるように見えました。ですが、それはただ神が与えてくださったものを感謝して受け取ってるだけだったのでしょう。自分の力で無理に手に入れたものは何一つなかったのだと思います。高い地位についたその神父様には、何事も意のままにする大きな力があるようにも見えました。ですが、その神父様が望んでおられたのはただ神の御旨を実現することだけだったのだと思います。華々しい活躍をして人々から賞賛を受けるその神父様に妬みを感じる人もいたようです。ですが、神父様は今、すべての栄光をすっかり神にお返しになっています。
 わたしたちも、イエスが示した「神のしもべ」としての覚悟、イエスの弟子としてこの神父様がわたしたちに模範を示した「神のしもべ」としての覚悟を身に着けたいと思います。そのためには、日々の生活の荒れ野の中で、やって来る誘惑を一つひとつきっぱりと退けてゆくことでしょう。神から与えられる以上のものを手に入れたいと思うとき、自分の思いのままに家族や友人、隣人たちが動いてほしいと期待するとき、大義名分を立てて自分自身の栄光を手に入れたいと願うとき、そのような思いの中にサタンの誘惑が潜んでいることに気づきましょう。そして、わたしは神から与えられるものだけで満足です、わたしは神の御旨を行われることしか望みません、すべての栄光は神にお返ししますと言って、きっぱりその誘惑を退けたいと思います。
※写真…教会の庭で見つけた霜柱。