やぎぃの日記(161)神の愛が凝縮された食事〜映画『バベットの晩餐会』


神の愛が凝縮された食事〜映画『バベットの晩餐会
 フランシスコ教皇ブエノスアイレス大司教時代にジャーナリストのインタビューに答えた際、好きな映画としてデンマーク映画バベットの晩餐会』(1987年公開)を挙げたという。その理由を、教皇様は次のように語ったそうだ。
「この映画は、互いを否定しあい、幸せが何であるかを知らない人々が変えられていく様子を描いています。真心を尽くした食事には、愛への恐れから人々を解放する力があるのです。」
 食事には人を変える力がある、そのことには確かに思い当たるふしがある。興味をそそられて、さっそくレンタル・ビデオで鑑賞してみた。
 ストーリーはとても単純で、教皇様が簡潔に述べられた通りの内容だ。デンマークのさびれた漁村にやって来た、謎めいたフランス人の女性バベットが、荒みきった人々の心を真心を込めて準備した食事によって変えてゆく様子が描かれている。見ているうちに、食事をしている人々がだんだん幸せになっていく様子がはっきりと伝わって来て、まるで自分自身がその晩餐会の客の1人になったような気分になった。そして、見終わった時には、何とも言えない幸せなが心を満たしているのを感じた。確かにいい映画だ。
 彼女が天才的な料理の腕前を村人たちのために惜しみなく発揮したとき、その1回の食事が人々の心を変えた。そのことにとても考えさせられる。彼女ほどでないにしても、人間誰しも1つくらいは神様から与えられた得意なことがあるだろう。ある人は絵を描くこと、ある人は歌うこと、ある人は料理を作ること。そのようなこと以外にも、人の話を聞くことや、きめ細かな介護をすること、きれいに掃除をすること、まわりの人を楽しい気持ちにすることなども神様から与えられた特別な力と言えると思う。
 その力を、誰かを幸せにするために存分に発揮するとき、この地上に神の愛が目に見える形となって姿を現す。歌や絵、料理、楽しく過ごしたつかのまの時間などの中に、神の愛が目に見える形で凝縮されるのだ。その愛は、目や口、耳を通して人々の体と心に深く入り込み、その人の全身全霊を癒してゆく。これは、「芸術的」と呼ばれるすべての活動に共通のことなのかもしれない。それらの中には、確かに心を揺さぶり人を変える大いなる力、神の愛が宿っているのだ。
 自分に与えられた力を存分に発揮するとき、まるで自分を越えた大きな力が自分を動かしているように感じることがあるが、それはまさに聖霊がわたしたちを使って神の愛をこの地上に現そうとしているしるしのように思える。この映画では、神はバベットという1人の女性に料理の力を与え、彼女が作った食事を通してこの地上に栄光を現された。神から与えられた力を、聖霊が導くまま人々のために惜しみなく使い尽くすとき、わたしたちを通してもきっと同じことが実現するはずだと思う。たとえば、真心を込めてきれいに掃除すれば、トイレのきれいさの中にさえ神の愛が宿りうるのではないか。映画を観終わった後のぼんやりとした幸せの感覚の中で、そんなことも考えた。

バベットの晩餐会 HDニューマスター [DVD]

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※写真…風に揺れる麦の穂。