【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
4月15日(月)ドムス・サンタマルタでの朝のミサ
「悪口はもちろん罪ですが、何かそれ以上のものです。悪口は神の業を破壊することを目指しますし、非常に邪悪なものから生まれてきます。悪口は、憎しみから生まれるのです。憎しみは悪魔の業です。悪口のあるところには悪魔自身がいる、そのことを疑ってはなりません。」
「殉教者の時代はまだ終わっていません。今日においても、教会は、最初の数世紀に出したより多くの殉教者を出しているのです。中傷される人々、迫害される人々、イエスや信仰のへの憎しみゆえに殺される人々がたくさんいます。ある人たちはカテキズムを教えたがゆえに殺され、ある人たちは十字架を身に着けたために殺されました。」
4月16日(火)ドムス・サンタマルタでの朝のミサ
聖霊は私たちの心をかき乱します。私たちを動かし、歩かせ、教会を前に押し出すからです。私たちは聖霊をなだめ、手なづけようとしますが、それは間違ったことです。聖霊は神の力であり、前に進む力を与えるものだからです。」
4月17日(水)ドムス・サンタマルタでの朝のミサ
「私たちが聖霊に忠実に生き、生活によってイエスを宣言するとき、教会は次から次にたくさんの子どもを産む母なる教会になります。そうでないなら、教会は母ではなく、子どもの世話をし、子どもを寝かしつけるベビーシッターになります。」
「17世紀の日本では、宣教師が追い出され、キリスト教徒の共同体は200年のあいだ司祭がいないままでした。日本に戻ったとき、司祭たちが見たのは、きちんと整えられた共同体、誰もが洗礼を受け、カテキズムを習い、教会において結婚する共同体でした。それは洗礼を受けた人々の働きのお蔭です。」
4月17日(水)一般謁見
「キリストはわたしたちのために天国への道を開いてくださいました。キリストは、山をよじ登るときロープの先頭にいるリーダーのような方です。キリストはすでに頂上に着き、私たちを引き上げて神へと導いて下さいます。もし命をキリストに委ねるなら、キリストに導かれているなら、私たちは確かに安全です。」
「私たちは、決して一人ぼっちではありません。天国で待っておられる弁護者がいます。私たちは決して一人ぼっちではありません。十字架につけられ復活した主が導いて下さいます。静かに目立たず、家庭生活や仕事を通して、問題や困難、喜びや希望の中にあって、日々信仰を生きる兄弟姉妹、私たちと共にこの世界に神の愛の支配をもたらそうとしている兄弟姉妹がいます。」
4月18日(木)ドムス・サンタマルタでの朝のミサ
「私たちは父であり、子であり、聖霊である神を信じています。私たちは位格を信じ、神に語りかけるときは位格に語りかけるのです。あちこちに少しずつ散らばり、誰もそれが何であるかを知らない霧のようなもの、拡散された神のようなものではなく、具体的で、触れることができる位格です。」
4月18日(木)アルゼンチンの司教たちへ
「自分の中から出ない教会は、遅かれ早かれ、閉じられた部屋のよどんだ空気によって病むでしょう。外に出ることでアクシデントに遭遇するかもしれませんが、私はアクシデントのある教会の方が病んだ教会より1000倍も好きです。」
4月19日(金)ドムス・サンタマルタでの朝のミサ
「イエスの御言葉は、愛の言葉であるからこそ心に届きます。それは美しく、愛を運び、愛を実践させる言葉です。ですが、観念論者たちは愛と美の道を断ち切り、『どうやって肉と血を与えるのか』と議論し始めます。知性だけの議論です。それでは回心できません。」
4月20日(土) ドムス・サンタマルタでの朝のミサ
「『常識があるだろう。ちょっと引いて、イエスにあまり近づかないようにしよう』と言ってイエスから去って行った弟子たちは、常識に従うキリスト教徒です。彼らは神の御旨から一定の距離を取ります。彼らは、言ってみれば『衛星』のようなものです。」
4月21日(日)レジナ・チェリ
「イエスは、御自身と父なる神との交わりの中に入ってくるよう私たちを招いています。これこそが永遠の命です。イエスは友たちとの間に、完全な信頼と親密な交わりのうちに互いを委ねあう御自身と父なる神との関係と同じ関係を打ち立てたいのです。」
「母の胎にいる頃から、私たちは母や父の声の聴き分け方を身に付けます。声の調子から、愛と軽蔑、温もりと冷たさを聞き分けるのです。イエスの声は特別です。もしその聞き分け方を身に着けるなら、イエスは私たちの人生を導いて下さいます。それは、死の淵を越えてゆく道です。」
「もし私たちがイエスに惹きつけられるなら、もしイエスの言葉が私たちの心を温めるなら、それは、私たちの心の中に愛や真理、命、美しさへの望みを起こして下さる父なる神のお蔭なのです。イエスは、この望みを完全に満たして下さいます。」
教皇様のツイート■
4月17日(水)
「イエスの昇天は、イエスがいなくなったということではありません。新しい仕方で私たちの間に、一人ひとりの近くに生きておられるということです。」
「神の栄光に入るためには、神の御旨に日々、忠実であることが求められます。犠牲が必要なときでさえ、忠実でなければなりません。」
4月18日(木)
「テキサスでの爆発事故の犠牲者とその家族のため、私と一緒に祈って下さい。」
4月21日(日)
「『私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っている。』イエスの声には間違いがありません。イエスは、私たちの人生の道を導いて下さいます。」